明日は祇園祭

a1. 『アストラルアブノーマル鈴木さん』(大野大輔

a2. 『辻占恋慕』(大野大輔

a3. 『バニーレークは行方不明』(オットー・プレミンジャー

a4. 『天使の顔』(オットー・プレミンジャー

 

 

久しぶりに映画を見る。たらふく見た。いいもんですね、不思議と気力が湧いてきた。

最近天気が悪いなあ。梅雨終わったと思って引っ張り出してきた下駄がすぐ腐ってしまうじゃないか。明日は祇園祭に行く予定なのだけど、屋台はちゃんと出店するのだろうか。山鉾回るのも3年振りやしな。何とか天気、好転してくれ!

 

 

a1.

弟のルル夫が引きこもりを脱し家から飛び出すカットには見ていてひやりとさせれ、映画で「決定的な瞬間」を引き起こすには、その結果だけを淡々と提示する方が効果的だよな、と。しかしその後の、あきれるほど長すぎる取っ組み合いには辟易。ただ退屈なだけで、『ゼイリブ』のあの面白さには遠く及ばず。対してとてもオーソドックスというか、淡々と提示する手法を離れた演出を試みているのが双子の妹と対面する場面だが、ああいうタメを活かした見せ方も出来るのだなと驚く。松本梨花、母、弟、三者とも序盤は非常によかったのだが(特に母・弟の設定の深刻さにもかかわらず、芝居は深刻になりすぎない点が)、後半になるにつれてどんどんキツい。母の豹変ぶりは残念。

a2.

中瀬慧(『ザ・ミソジニー』も彼!)による緩やかな移動、ピン送りを用いた艶めかしい撮影の力で画面に奥行きがある。逆光のショットも多く見られ、だらだらと歌手/マネージャーという関係を続けてきた大野がいよいよ決断を迫られる場面におけるシルエットが際立った画は見応えがあった。予告編の「妙じゃないか?」という大野の台詞、芝居に惹かれて見たのだが、最高や。ただ、『ウルフなシッシー』での根矢涼香との掛け合いを超えることはなく、早織の疲れた表情しか引き出せていなかったのは残念。あまりに彼女が孤高すぎた。ラストのライブハウス「ふうせんかずら」での空間の捉え方は魅力的で、ああいう二階席があるもんなんだ。あの空間は非常に良かった。大野は繰り返し、階段を下に降りる。対して、さいご早織が階段を降りるカットを省略していることには感動。やっぱり孤高の人なんだな、彼女は。他には、アイドル歌手の彼女のキャラクターも新鮮で良かった。2018→2019→2021と年の経過がテロップで示されたり、ザ・春といった画も見られ、時間の経過や季節の変化は重要なモチーフだが、あまり活かされているとは思えない。音楽レーベルを経営していた車椅子のおじさんによる遺言には『ロンゲストヤード』を想起し、さいごに大野が舞台上に立つ決意をする直前にもう一度反芻するカットが欲しかった。もしくはアレを直前、舞台裏に持ってきていたら号泣していた。

a3.

キア・デュリアのおとなこども感を今できるとしたら、それはクリスチャン・ベイルだろうな。映画で、ゲームとしての追っかけ合いほど恐いものはない。『ビガーザンライフ』しかり『召使』しかり。スラッシャー映画的追っかけ合いはサスペンスを醸成することはないが(どちらに転ぶかは容易に予想が付く)、ゲームであることが明かされた上で展開される狂人との追っかけ合いはどちらにも転びようがあって面白い。終盤、兄弟だけの濃密な世界にふと外気が吹き込む瞬間のカットが非常に素晴らしい。秀逸なタイトルデザインはソウルバス。

a4.

ヤバすぎる!鮮烈!劇薬!邪悪!傑作!

私の大好きな法廷場面も堅実な演出でしっかりと抑えつつ、崖から落下する一連のシークエンスでのプレミンジャーの演出が冴え渡りすぎていて恐ろしい。ピアノに手をかけたら最後、すでに事は動き出し、もう止まらないのである。逡巡する間もなく奈落へと突っ込む二回目の落下(ラスト)が特に鮮烈な印象を残す。彼女が逡巡している様を表現するカットとかを撮りそうなものだが、そうはしないのが大変良い。一回目の落下では、継母のキャラクター設定と、急がなければならないという状況設定とが利いていて、こちらも鮮烈。問答無用の傑作。