スター映画

a1. 『エルヴィス』(バズ・ラーマン

a2. 『第七の犠牲者』(マーク・ロブソン

 

 

今日は映画も見て、研究もして、祇園祭にもいって、居酒屋でおいしいご飯も食べて、良い一日やった。3年ぶりの祭りがかなり楽しかった。屋台はやっぱりタン串とイカ串、ビールに限る。

『エルヴィス』良すぎたなあ。冷静に見ると本作の主題は、金儲けのために1人の才能ある若者の人生を食い扶持にする大佐とそれに対するエルヴィスの反抗、ということなのでしょうが、最後に大佐の口から語られる「エルヴィスは観衆からの愛、何ものにも変えがたい愛に飢えていたのだ」という言葉が利いており、そのような主題から逸れた部分が私は好きなのだ。狂気のグルーヴを観衆に巻き起こしたエルヴィスの腰振り、それに耐えきれずマネージャーの大佐は心臓発作を起こし腰を痛めるわけだが、当の本人もそのグルーヴに巻き込まれてしまった。そのエルヴィスの手を離れて巻き起こるグルーヴ感を現すのがこの映画のテンポ感。怒濤のテンポ感で進む映画内時間を生き切ったエルヴィス/オースティン・バトラー、穿ったことを言えば私は『ドクトル・マブゼ』を想起し感涙。これこそ映画だ、スターだ、と。時間に追われて身をやつす『マブゼ』内のキャラクター達、気が狂ってしまうマブゼに対して、エルヴィスは見事乗り切り、彼が灯した光が現在さまざまな人に受け継がれギラギラと輝きまくっている。『マブゼ』を見た北杜夫には彼の思想が伝播し気が狂う。まさにスター映画の陰と陽だ。私的映画史の両端にこの二作を並べたい。

 

 

a1.

最高!オープニングの怒濤のモンタージュから一気に引き込まれる。曲の盛り上がりに合わせた顔へのズームアップと早いカッティング。そこに過去の資料映像もカットアップされると、かつての熱狂がそのままスクリーン上に接続される。ギラギラとした画面の輝きがそのままエルヴィスの漲る生命力を表現しているのもまた良く、あの輝きに「楽しんでいいのか、悪いのかを突きつけてくる」エルヴィスの見世物性が詰まっており、素晴らしすぎて言葉もない。映画と光輝とエルヴィスとが一致する。バックステージではエルヴィスと大佐との主導権争いが主だが、いざ舞台に上がるとライヴの出来不出来を左右する、バックステージの何もかもを昇華させるか否かを決定できるのはエルヴィスだけなのである。水面下で進められた取り決めをステージ上で裏切る小指一本に反体制のカタルシスを込める、こういった構造はアルドルッチだなあと熱くなる。大佐が幽閉される二階の編集席や舞台裏という空間とステージとの対比が最大限活用されている。『カリフォルニア・ドールズ』の審判を巻き込んでの回転エビ固め。こちらでもド派手な衣装とパフォーマンスにより目を欺く。『ロンゲストヤード』の清掃員で終身刑のオヤジがバート・レイノルズにかける「後悔はしなかった」という言葉は、そのままBBキングの台詞に引き継がれているようだ。映画で面白いのはこういうことだよな、と。他には、ダミーのクリスマスセットを映すテレビカメラをぐいっと回転させてプロテストソングを歌い上げるエルヴィスを捉えるカットが忘れがたく、いたく感動。金に目がくらみ、搾取してくる奴らを「出し抜く」のは映画の王道。見事それを昇華したオースティン。バトラーは素晴らしい俳優!傑作!

a2.

戦前の悪魔崇拝映画。都会に出た姉が失踪し、妹が姉を探す、というのがプロットだが、コスメ工場→博物館→地下鉄と地獄巡りをしていく展開が魅力的。死体を妹に見せつけることに正当性はまるでないのだが、アイデアの秀逸さが光り、見れる。視点が姉に移ってからは、気安く組織に接触してしまったが故に恐い展開が待ち受ける。彼女に自殺を強いる、背中を一押しする展開があってもよさそうなものだが、それはなかった。中盤いきなり姉が妹の前に姿を表わす場面があり、そのときの姉がちらりと後ろを見遣る仕草が不気味で良い。