見逃した新作ホラー見ていくで~(day~)2 またもや目玉の話、中々読み終わらない長編小説
a1. 『ヴィジョン 暗闇の来訪者』(ケヴィン・グルタート)
a2. 『ELI/イーライ』(キアラン・フォイ)
a3. 『ベルリン・アレクサンダー広場』第11話(R・W・ファスビンダー)
a4. 『ベルリン・アレクサンダー広場』第12話(R・W・ファスビンダー)
最近『ベルリン・アレクサンダー広場』ドラマを見直すのと同時に小説も読んでいるのですが、大作で中々読み終わらない。明日ドラマは見終わる予定なので合わせて明日までに読了したい。
驚愕の目玉映画。コリーン・ムーア主演の変顔映画『微笑みの女王』(1926)。スプリットスクリーンを活用したトリック撮影ですが、分かっていてもゾッとする。とんでもない。
『マリグナント』も目玉の印象が強く残る映画でしたね。
↑これ、禍々しいイラストやなと公開時から思っていましたが、19世紀ロンドンでロバート・リストンという外科医が行った斜視矯正手術をあらわしたイラスト。リチャード・バーネット『描かれた手術』に収録。
斜視といえばインスマスもいますが、
私としては黒沢清『降霊』で徐々に目が離れて斜視になっていく役所広司が忘れがたい。目が離れていった挙げ句、ドッペルゲンガーに出くわしてしまうドラマだと解釈している。
それからオディロン・ルドンの絵画も目のインパクトが強い。サイクロプスのイメージが根幹にはあるようだ。
他にも、『怪人マブゼ博士』(マブゼ博士の1000の「目」)
ヒッチコック・ダリによる『白い恐怖』
言わずもがな『アンダルシアの犬』
目と言えば忘れてはならない『ゾンゲリア』。
目玉をめぐるサスペンス『マイノリティ・リポート』
やばい目、『顔のない眼』
ゴア×目、『ホステル』
ヒカル目モノ、『光る眼』
目が合うと死にます『妖女ゴーゴン』
死ぬ間際に目に焼き付いた光景とは、『4匹の蠅』
死んだ目、『サイコ』
観客の目を攻撃することに特化した映画といえば『ルクス・エテルナ』、疲弊しきった3人のリアクションに注目。にしても眩しい。
照明のあまりの眩しさにNGを出してしまう『地獄』におけるロミー・シュナイダーのリアクションも禍々しい何か。
『ジャイアントロボ』の一話
↓目玉ポスター集
↓グレートEyeballムービー
め/めだま/眼球/まなこ…の表象はコレクションする必要がありますな。
a1.
とてもハズレ。ワインソムリエが霊能者も兼任している設定だけは少し魅力的。演じるはジョアンナ・キャシディ。老害じみた芝居が光ります。
a2.
アレルギー性の不治の病、かと思いきや悪魔憑きだったという。近代的な病院を舞台にエクソシズムを実行する画は中々格好よかった。が、しかしそんなの『エクソシスト』の焼き直しに過ぎない。良い設定だったのは病院の地下室を持ち出してきたところで、地下には井戸があり、そこにこれまでの被験者の遺体が安置されているのは恐い。病院の前身は修道院であった、という設定。これからサタン御大に会いに行くという所で幕切れ。墓には野犬が眠っているのかな。
a3.
再びプムス強盗団の元へ戻ってしまうフランツ。ここでも金、片輪だろうが年寄りだろうが自分の手で金を稼ぐんだ、ミーツェにおんぶに抱っこでは耐えられないフランツの性分だけではなくラインホルトとの特別な関係(性的にならない愛の形が示唆されている)が起因した行動なのだ。前話では一人残されたフランツであったが、そのあと直ぐラインホルトの元を訪れている。ラインホルトがベッドに隠れている中、ミーツェを殴ってしまうフランツ。止めに入るラインホルトと発狂するミーツェ、肩の痛みに耐えかね叫び出すフランツ。とんでもない三角関係である。
a4.
メックとラインホルトの術中にハマってしまったミーツェ。策略に気付いたミーツェがラインホルトにかける言葉が辛辣ですばらしかった。まともに人に向き合え、と。これこそ教育小説然としたすばらしい台詞。そしてラスト20分はラインホルトとミーツェの二人芝居なのだが、ロケーション、撮影も含め圧巻の出来。
見逃した新作ホラー見ていくで~(day~)1
a1. 『ナイトハウス』(デヴィッド・ブルックナー)
a2. 『ポスト・モーテム 遺体写真家トーマス』(ピーター・ベルゲンティ)
a3. 『ベルリン・アレクサンダー広場』第9話(R・W・ファスビンダー)
a4. 『ベルリン・アレクサンダー広場』第10話(R・W・ファスビンダー)
おもしろい記事があったので添付。大和屋竺による「ゆれるまなざし」という論考が収録されているのはおそらく『悪魔に委ねよー大和屋竺映画論集』であろうか。この「ゆれるまなこ」で印象的な俳優はコンスタンス・ルソーで、とくに『ダゲレオタイプの女』の彼女のまなこは異様であった。最近見て「目玉」の印象が強烈に脳に焼き付いたのは『MAD GOD』でした。共にダリが関わっている『アンダルシアの犬』と『白い恐怖』も目玉映画、意外に思われるが『バルタザールどこへ行く』も動物の目玉映画。映画と「目玉」は掘っていきたいところ。
a1.
端役でステイシー・マーティン出演が嬉しい。良い線行ってる描写は散見されるも、アッと驚くカットがなかったので印象は薄いし、主役でエグゼクティブも兼任しているレベッカ・ホーンのこれ見よがしの芝居が鼻についた。『扉の陰の秘密』(ラング)へのオマージュとおぼしき「部屋を再現する」という発想、『吸血鬼』(ドライヤー)らしいドリームウォークの中で自分自身と出くわしてしまう感覚、『テナント』(ポランスキー)の家具の配置で主人公が狂っていることを描く手法、などなど良い描写は多いのだけれど、どれも参照元を超えれてはいない。複雑な迷路構造を持つトロイの街、カエルドロイアやルーヴル人形(呪術人形のこと)、ある書店が鍵となって物語が一瞬横滑りしていく感覚など、的確にポイントは抑えてはいるのだが。湖の向かいに反転した家を建設し、カエルドロイアを再現しようとしていた亡き夫の悲願の作品を一発、一枚画で見せて欲しかったところ。それがあれば諸々納得が行くはず。まあ、だまし絵的なホラー演出は面白かったので、良しとするか。一見ぬるいゴーストストーリーかと思わせておいて、裏をかくあの場面には唸ったし。あそこは良かった。
a2.
意外や意外、アタリでした。第一次世界大戦による兵役とスペイン風邪の大流行によって痛手を負ったハンガリーの村で起こる怪異が題材で「戦争怪談」的な色合いも濃い。霊に取り憑かれ発狂する老婆に銃撃戦のサウンドが重なる演出など、まさに戦争怪談のそれ。どうかしてるくらい暴力的な幽霊=悪霊のわるさにたまげる。屋根裏を走る足音、細かく揺れる水面からはじまり、次第に壁がメシメシとへしゃげ出し、人が宙を舞い、最後には家ごと沈んで地下水脈から水がドッと流れ込む衝撃的なカットまである。悪霊に、死体の周りにあつまる何か、といった設定しか与えていないのもまた優れている。狂っているか否かが幽霊表象の肝であり、本作は見事クリア。強いて言うならラストの死後の世界をトーマスの内面でおこる出来事として処理してしまったのは安易な選択であった。実際に地下には死後の世界が存在し、あの世からの「水」という設定でよかったではないか。遺体写真はあまり機能していない。ハンガリーの風景、かやぶき建築等、ロケーションは抜群でした。
a3.
これもたいへん良い回でした。居酒屋の店主マックスの助言も泣かせますが、共産主義者の集会に参加、というより冷やかしに出たフランツとヴィリーが冷笑的な態度をとることしか出来ない幕引きが何よりもすばらしい。フランツに至っては演説中にセックスの妄想をするくらいですから、まともに話なぞ聞いてはいない。第2話で共産主義者と口論になった際には秩序の大切さをとうとうと説くフランツであったが、今は経済状況が違うのだ。ヒモとしてうまいこと生活できてしまっているフランツにとっては秩序は不必要だ、とアナーキーなことを言い出す始末。
a4.
これも素晴らしい回。いや、震えた。とくにミーツェとフランツが床の上をごろごろと転げ回りながら愛し合う長いワンショットがとにかく美しい。『ゼイリブ』と並ぶ素晴らしい長回しだと思う。フランツにとってはミーツェとの出会いこそ試されているのであり、ミーツェのおかげもあって見事(一応は)誓いを守り抜いた。しかし肯定と否定の波状攻撃が作劇の基本であり、ファスビンダーは特にそれが達者である。愛人と旅行に出かけるミーツェ。結局はヒモ生活に逆戻り。ここに来て、孤独なフランツを見ていると前話のプロレタリアートの台詞が響いてくる。唐突な死体写真、死体の上を這う蜘蛛に驚く。シュヴァンクマイエルみたいなクオリティなのだが、アレは一体何だったのだ。
コロナ病床日記⑧ おわり
a1. 『ベルリン・アレクサンダー広場』第7話(R・W・ファスビンダー)
a2. 『ベルリン・アレクサンダー広場』第8話(R・W・ファスビンダー)
今日で病床日記はおしまいかな。
a1.
印象薄い回。ウド・キアが出ていたことに驚く。そういえば『第三世代』にも出演していたそうな。やくざな青年と知り合ったことで羽振りが良くなるフランツであったが、「真っ当に生きる」誓いはどこへやら。知らずして同じ会場内に居合わせるフランツとラインホルト。ラインホルトだけではなく、ブルーノも、メックもみなフランツに怯えている。それもそのはず、片腕失っても冗談を言えるような男は恐ろしい。やくざな青年の元へ行くには売春街を通り抜けねばならない。徐々にベルリンの土地勘が私にも養われてきた。
a2.
これも好きな回。ミーツェ(バーバラ・スコヴァ)は大好きなので、第8話以降は一気にさらに面白くなる。ミーツェ初登場から演出のギアも一段階上がる感じがたまらない。ミーツェがペットの鳥を買ってくると、まだ朝が早くフランツは寝ていたため、彼を起こさないように抜き足差し足、気を遣う彼女のカットとか忘れがたい。良すぎる。仕事をほっぽり出してしまうくらいに夢中になってしまうフランツの気持ちもよく分かります。ただ、一点だけ言わせてもらうなら、ハナ・シグラが出しゃばりすぎやな。第7話でもそうやったけど、彼女はあまりファスビンダー映画に似合う顔ではない。
コロナ病床日記⑦ 見ていない日本映画を見ていく2
a1. 『超能力者 未知への旅』(佐藤純彌)
a2. 『ベルリン・アレクサンダー広場』第5話(R・W・ファスビンダー)
a3. 『ベルリン・アレクサンダー広場』第6話(R・W・ファスビンダー)
夕方まで寝てしまった。ギンギン頭が痛いのはコロナ後遺症?それとも『ムーンフォール』のせい?うぅぅぅぅ…と素でハーヴェイカイテルのようなリアクションが出てしまうほど10日目にしてまだ体調悪くしんどい。味覚異常・嗅覚異常・聴覚異常も未だ治らず。ただ前よりは若干、食事を楽しめるようにもなってきた。コロナ恐るべし。すももの味しないの辛い!めっちゃ好きやのになあ。
a1.
おもろすぎ。中国行ってからが特におもろい。エンドクレジットの丹波哲郎、フランキー堺の特別出演もじわじわとおもろい。タカツカヒカルが道を求めて訪れた中国で出会った気功師・万蘇建大使による「気」が画面越しに降り注ぐ。さいごに出てくるエイズ患者の証言は迫真に迫っている。あらゆる垣根を越える、越境スピリチュアル映画。キルリアン写像もはじめて知りましたが、良いですね。
a2.
ラインホルトは女にすぐ飽きて捨てたくなるが、厄介ごとは嫌なので捨てられた女の処理を頼む、という無茶苦茶な論理に乗ってしまうフランツ。このエピソードは増村保造的で「危険なゲーム」に乗ってしまうことからはじまる。フランツによく似た女フランツェの世話をしなければならなくなる場面から、第二の女シリーを世話するまでの一連の場面で、場面が変わっても同一の劇伴が流れている。強引な演出。お節介を焼く女主人(ブリギッテ・ミラ)の存在が重要である。
a3.
このエピソードは、かなり思い出深い。ブルーノ(フォルカー・シュペングラー)が殴られて再起不能に陥るさまを偶然見てしまう所からして、すでに犯罪に巻き込まれているのである。ボロボロになったブルーノの口からプムスの居場所を告げられ、何時何時までにそこに行って欲しいと頼まれる。ここはたいへん魅力的な展開でした。そしていざ強盗の場面になると、一体どうしてフランツがメンバーとして必要だったのか分からない。ひとつのターニングポイントとなる車から突き落とされる場面では、ラインホルトが突き落とすと同時に「愛は、いつでも高くつく」とテロップが表示される。落ちてきたフランツを轢いてしまう夫婦に介抱されるフランツだったが、彼らが決して強盗団を検挙するために動いていた私服警官とかそういう設定ではなく、強盗団の乗る車と速さ比べをしていた、という設定なのも妙なリアリティがあって面白い。そんな彼らに救われ、九死に一生を得たフランツ。
コロナ病床日記⑥ ドイツ映画
a1. 『伯林/大都会交響曲』(ヴァルター・ルットマン)
a2. 『周縁で』(トーマス・アルスラン)
a3. 『晴れた日』(トーマス・アルスラン)
a4. 『ムーンフォール』(ローランド・エメリッヒ)
a5. 『ベルリン・アレクサンダー広場』第3話(R・W・ファスビンダー)
a6. 『ベルリン・アレクサンダー広場』第4話(R・W・ファスビンダー)
a1.
表層的な映像のリズムが軽快で見れてしまう。そこへの批判をしたのがクラカウアーであったと。演出された映像とそうでない映像とが混在しているため非常に見づらく感じる。演出された映像の中には、たとえば『眠るパリ』のオマージュと思しきカットもあったり。
a2.
映像を見る力をもっと養わねばならないな、と反省。東西の建物の差異をそれとなく示してみせるアルスランによる、ベルリンの壁跡地を巡るドキュメンタリーで、かなり見落としている点も多く、検問所の存在など指摘されてはじめて気付いた。
a3.
すばらしかったです。ただ歩いているだけでキャラクターとして魅力的である、つまり他のキャラクターとの関係性の中で捉えてはじめて魅力が増すのではなく、彼女ひとり画面に映っているだけでもう十分である。渋谷先生が21世紀の作家映画のあり方の特異な事例、と仰っていたが言い得て妙。「作家の映画」との絶妙な距離の取り方こそ、新ベルリン派という感じ。
a4.
コメントなし。以前に書いています。
a5.
靴紐売りをするフランツが、訪問した先が戦争で旦那を亡くした未亡人が住んでおり、たまたま死んだ旦那にそっくりだったために良い仲になり20マルクほど掠め取ることに成功。さらに別棟にはエヴァが住んでいたりと、訪問販売先ではかならずドラマが用意されている。未亡人との関係は、間にリューダ(ハルク・ボーム)が割り込んだために破局してしまう。これは後のフランツーミーツェーラインホルトの関係を思うと、すでに示唆的な事件だった。落ち込んで日雇い労働者用の宿に逃げ込み、行方をくらますフランツ。この宿が良い雰囲気だった。
a6.
このエピソードはやや難解と言えるか。酒に溺れ、意識朦朧とするフランツと、間借りするアパートの隣の部屋の住人による強盗事件の発生、という、とりとめのなさが印象深い。「教養小説」らしく屠殺場の写真がただただ列挙されるシークェンスや、天使と子羊のイメージカットなども挿入される。フランツの精神世界に立脚した、場面と場面の連なりと見れる。間借り人のアドバイスを鵜呑みにするフランツであったが、その人は果たして神を名乗る悪魔ではないか、という問いかけも教養小説らしいと言えばらしい。ラストカットは、平和活動家カール・フォン・オシエツキ-が反逆罪に問われた?ことを知らせる新聞記事のアップで終わる。
コロナ病床日記⑤ 見ていない日本映画を見ていく1
a1. 『赤軍ーPFLP・世界戦争宣言』(足立正生・若松孝二)
a2. 『戦後猟奇犯罪史』(牧口雄二)
a3. 『ベルリン・アレクサンダー広場』第一話(R・W・ファスビンダー)
a4. 『ベルリン・アレクサンダー広場』第一話(R・W・ファスビンダー)
味覚・嗅覚・聴覚の大切さを思い知った。活力に直結している。ご飯をたべて何も味がしない生活、咀嚼しても咀嚼音が聞こえない生活、ゴミ出し前になるといつも臭いアパートが臭くない生活はうんざりやな。はよ治ってくれや~。明日はアルスラン楽しみなんやから、ちょっとは体調も改善していて欲しい。
a1.
「武装闘争は、抑圧された者たちの言葉である」。重信房子出演。
a2.
面白い。西口彰は、緒形拳や室田日出男が演じても、実際の西口がもつ色気には敵わない。なんてセクシーなんや。圧巻は第三部の大久保清で、大学生かつ活動家というだけでモテモテだった時代が舞台。強姦をし、殺害後に死体を埋める専用の空き地があったことを示す一枚画が印象的で、これは映画の創作だが、すばらしいアイデアでした。やっぱりこういう狩場がある方が面白い。あいだあいだの泉ピン子のショーも軽妙で、これくらいの娯楽映画が生み出される土壌は良いですな。
a3.
出所した直後、あまりのベルリンの騒々しさに驚いて思わず耳を塞いでしまうフランツに「罰が始まる」というテロップが重なるオープニング。刑期はたったの4年であり、ベルリンの急成長ぶりが見て取れる。頭がくらくらしていると、さっそくユダヤ人宣教師に捕まり、その後は娼婦を買う。娼婦相手にいきなり咬みついてしまうような札付きの男に共感の余地はない。4年もご無沙汰のせいか、もしくは4年前の性と暴力とが引き起こしてしまった大事件の罪悪感からか、一切たたず笑われるフランツ。隣が劇場で、娼婦の甲高い笑い声と劇場から漏れ聞こえるナメた音楽とが重なる、たいへんやかましい場面。このやかましさは本作の通奏低音に。つぎは衝撃的で、自分が殺した妻の妹に会いに行き、強姦まがいの性交をする。まだ「誓い」を立てていないからなのか。ここで、外から子供の声が聞こえたから、周りの住人に密会を見られないようにフランツをしょうがなく家内に引き入れる。こういう、フランツの外から行動に影響を与えるものと、フランツ自らかき乱していく行動とが両方描かれるのが面白い…いや、これこそ普通の作劇だと思うけど、こういう基本的なことは抑えてやって欲しい。あと、やはりフランツに対してネガティブな見方が基本となっている。これも基本でしょう。それから「testifortan」という心身症インポテンス治療薬が登場。ヒルシュフェルドとシャピロによって1920年代に研究開発された治療薬で、ナチス政権誕生後にはヒルシュフェルドの取り分は国の負債に当てられたそう。へー。プラスしてファスビンダーが時々語りかけてくるのだけど、優しい声をしている。
↑これは読みたい。
a4.
これはかなり上位に組み込む好きなエピソード。ネクタイピンのたたき売りも、アンダーグラウンドで同性愛を扱うエロ雑誌販売もリーナに止められ、生活は困窮。今エピソードは机の上に積み上げられた、彼らの全財産であるたった2マルク程度を接写で捉えたカットに「死にたくなければどう生きるか」とタイトルインすることからも、問うているテーマは生活費である。生活費はないが、リーナ、フランツカップルの明るさで仕事はなくても何とか元気に、平和にやっていこうと前向きな二人は、文字通り『新世界』というビアパレスに景気づけに出向く。するとそこで出会うのがナチ党員であり、機関誌フェルキッシャー・ベオバハターの販売員を任されることになる。この新世界=Neu Weltも実在のビアパレスで、20年代後半からは国家社会主義者が出入りする店だったそうだ。ゲッベルス主催のプロパガンダパーティーも催されていた。この場面で党員が「声」について言及しているのが興味深い。たたき売りも、雑誌販売も、新聞販売も声、声量や演説力に関わる職種であり、後半にはコミュニストとの合唱合戦まで用意されているのだから、テーマは声だとも言える。生活費のためにおおきい声を出さねばならないフランツが知らず知らず、声量はそのままにフェルキッシュな内容を喚くようになる…。その前には、リーナに「おれは口下手だからさ」ともぼやいている。ファスビンダーは、バーでの口論にて、フランツに思いの丈(「今の時代、平和にやっていきたいだけなんだ」と)を叫ばせながら、彼が退場したあとにカメラがすっとコミュニストの側に一瞬寄り添ったりと、この場面の語り方は非常におもしろく、シリーズ随一の場面とも言える。
コロナ病床日記④ ファスビンダーLOVE
a1. 『ベルリン・アレクサンダープラッツ』(ブルハン・クルバニ)
ひさしぶりの外出。外はきもちいいな~未だ嗅覚・味覚なし。耳も聞こえづらくなってきた。
a1.
やはり原作、オリジナルとの差異ばかりに囚われながら見てしまい、その改悪が目に付く出来ではあった。フランツのキャラクター変更は著しく、移民としてドイツの地で生きていかねばならぬ者としての弱さは描かれるが、それが翻った虚栄までは踏み込まず。オリジナルでは、片腕を失ったフランツが無くした方の腕の袖をポケットに押し込んで「こうしてれば腕があるように見えるだろう。そうすればスられない」と一人で豪語する場面があり、むなしさがあって大変良いのだが、本作ではそれはラインホルトの台詞に置き換わり、含みのない陳腐な台詞になってしまっている。そのことからも、キャラクター同士の関係性の推移、といった面白さは期待できない一方、登場人物一人一人を抜き出して見てみると魅力的に仕上がっている。とくにラインホルト、ミーツェの「声」は印象的で、初登場から(ミーツェはヴォイスオーバーで)心掴まれた。ラインホルト役のアルブレヒト・シュッへはすばらしく、『さよならベルリン』を見なかったことを激しく後悔。また原作からの改変で唸ったのはエピローグで、まあ原作のプロローグをエピローグに持ってきているだけなのだが、驚くのはそこではない。印象深いベルリンの喧噪にのまれ、思わず両耳を塞いでしまう仕種を、片腕を失ってしまっているため不格好な形で耳を塞ぐ仕種に置き換えており、これがふしぎと希望を感じさせる塞ぎ方でとても良かった。うん、良いもの見れたな。
死ぬまでに見れるかどうかと訝っていたが(どうやら日本には劇場上映の配給権がないらしい)、無事に行けて良かった。知らなかったがトークも付いていて、色々と興味深いお話も聞けて満足。貴重な機会をありがとうございました渋谷先生。