コロナ病床日記③ 森崎東1

a1. 『ニワトリはハダシだ』(森崎東

a2. 『生きてるうちが花なのよ 死んだらそれまでよ党宣言』(森崎東

a3. 『ペゴロスの母に会いに行く』(森崎東

b1. 『大降臨』(武田崇元

 

 

もう完治したやろと思っていたら味覚・嗅覚なくなってた。ただ熱はないし、咳もほぼ出ないし、明日『ベルリン・アレクサンダープラッツ』見に行っても平気やろか。

 

 

a1.

面白かった!現状見ている森崎東映画の中では一番好き。父親・母親の目を盗み、田んぼで密かにひな鳥救出作戦を実行する知恵遅れの兄と妹、という場面で一気にキた。親の目を盗んで勝手をする子供、という役割が警察組織の陰謀と絡み出してからは一層物語の吸引力が増し、消えたベンツの鍵を握る少年を巡るドラマだったはずが、のちにドラマの主導権を皆が奪い合う脚本が衝撃的。突如幻想的な、水にまつわる場面がインサートされるのも驚きで、それは元軍用港である舞鶴の土地が持つ霊性と関わっている。

 

a2.

夢見がちな先生の視点で描かれる原発内部の悪夢的な映像、ジプシーの悲惨な現状が、愛チャンの能天気な声・サイレン音と共に忘れがたい。ワンカットだけ示されるコザ暴動の再現映像や、死に瀕した原田芳雄の出で立ち、楽観的な台詞につなげられるコンクリート詰めの死体、などもふしぎと印象に。というより純粋な驚きがある。「何かが解決するための」物語にこのタイトルは合わないだろう、と考えていたがそれは杞憂であった。ヤクザ=警察から踊り子たちを逃がすことはできず、何も解決されずに終わる否定的な映画。『ペトラ・フォン・カント』みたいな。

 

a3.

 

コロナ病床日記② 狩り2

a1. 『カルテルランド』(マシュー・ハイネマン

a2. 『マンハント』(ジョン・ウー

a3. 『追撃者』(ジャン・バティスト・レオネッティ)

a4. 『The Perfume of the Lady in Black』(フランチェスコ・バリッリ)

b1. 『霊界からの警告』(武田崇元

 

 

あかん、喉が痛い……コロナウイルスはヴァリエーション豊か。あと目の裏激痛……癖で目玉を裏返すと激痛……一昨日は回復の兆しが見えたが、ここに来てまた落ち込んだのが昨日。なので病床日記の更新すらままならず。

今日は頭痛薬と解熱剤を大量摂取したことで6時間くらい気を失っていたが、気分はだいぶ楽になった。ウイルスが脳に回ったせいか頭がこじれてしまい、何も考えることができない。こういうときに映画は最適。

 

 

a1.

ナマの銃撃戦を見ることが出来る。カルテルから報復された家族の死体なんかもバンバン出てくるので映像倫理的にどうなんだこれは、とコロナ病みの脳で心配になってしまった。カルテルによる犯罪への対策をとろうとしない政府に代わって自警団組織が立ち上がるのだが、それすらも後にカルテルになってしまうという恐るべき内容で、成立段階からして自警団らの資金源はそもそも麻薬密売だった、というマッチポンプな悲劇。当初はもちろん違法だったカルテルという存在が、自警団組織を経て、ひとつの軍閥として国家に合法だと認証されるまでが対象。撮影者も途中からは横暴な自警団組織をかなり突き放して撮っており、このような結末は、むべなるかな。もっと関連の記録映画を見たい。どうしたって似てくるので、カルテル側から見た記録映画とかないんかな。

 

a2.

製薬会社内で行われていた生体実験、そこから巻き起こる一大ガンアクションは見所か。ただいつものジョン・ウーほどのアクションは期待してはならない。肝心の鳩ポイントは序盤の切り立った崖の上での福山とハンユーの取っ組み合いで見られる。スローモーションの使い方はペキンパーのそれとは正反対。思ってたより切羽詰まった映画で、福山雅治出演パートはウィッシュマン映画と紙一重のノーリップシンク。こういうタイプの映画ではたまに手術台案件に出くわすのだが(『デンジャラス・チェイス』など)、ほどよく高揚する。

 

a3.

これがアタリだった。たいへん面白く飽きさせない。印象的な画も多い。『ザ・プレイ』は試練を乗り越えた先に少女の顔が変わるといった演出が見られず、はがゆい思いをしたが、今作の青年は試練を経て顔ががらりと変わってしまう。スリングショットの練習をする辺りから良いぞ良いぞとなり、いざ弾を放つ瞬間の鬼気迫る表情には思わず涙。彼の人生すべてを見た気になってしまったのだから、すごい俳優さんやなあ。

 

a4.

期待値の割にはイマイチな小品。最後のダメ押しの展開には『ヘレディタリー』が頭をよぎり、もういいよやめてくれとなったが、意外にもそこだけは良かった。

コロナ病床日記① 狩り

a1. 『プレデター ザ・プレイ』(ダン・トラクテンバーグ)

a2. 『ゴースト・アンド・ダークネス』(スティーヴン・ホプキンス)

 

 

3日前にコロナ感染が判明し、一昨日、昨日と倒れていたので何も出来ず(いやほんとに何も出来なかった)、ようやく今日に入って熱も下がり元気も出てきたので自宅療養期間中は研究室にも入れないしひたすら映画鑑賞・読書でもしましょうかね。ということで病床日記①なのです。ただただ寝るだけの二日間はお供にずっとYouTubeを流しており、コロナ病みの脳に一番心地よかったのは素人の政治語り。適当に流していたので誰が言っていたかは定かではないけど、何か良いこと言うてた。あと未解決事件に詳しくなった。

 

 

a1.

「狩り」にだけ絞ってドラマを展開するのは良い。ただ雰囲気がまるで無い。主演女優は一応インディアンの血を引く小娘らしく(とは言っても今年25歳!)、18歳の時には『ブラッドファーザー』のニューメキシコでのキャスティングを手伝っているという強者だそうだが、画面には出てない。あんな小娘に負けるというエンディングありきで作っているためプレデターも下方修正せざるを得ず、一作目にあった自爆で決着が付く不条理感も皆無で、歪さがまるでない商品。ドラッグ食べると体温が下がるから見えない、て何がおもろいんやその設定。ただ、彼女が彼女なりにひとりで訓練する場面は良かったり、反対にプレデターがエイペックスプレデターとしてこちらも黙々と頑張る所もすごく良い。しかし、いま被害者の物語は口に合わない。

 

a2.

『プレイ』があんまりにも脱臭された毒のない映画だったので侵略者の立場から土着の恐怖を描く映画を見たくなり、こちらを。侵略に対して抱く後ろめたさがライオンとして可視化され襲いかかってくるのである。監督は『プレデター2』の人で、この人はこのようなテーマに取り憑かれているのかもしれない。地元民にストライキされ鉄道敷設が捗らない中、アフリカで暮らす男(マイケルダグラス)と共にライオン退治に向かう新任のジョン(ヴァルキルマー)。こういう設定の方が盛り上がるやろ。なお撮影ヴィルモス・ズィグモンドで、かなり見れる映像にもなっている。太陽を背に登場するライオンなど決め画も多い。真相は明かされないが、どうやら二頭のライオンには土着の霊が乗り移っているらしく、普通ではあり得ない殺しをしている、つまり生きるための殺しではなく殺しを楽しんでいるらしい(マイケルダグラス談)。白人が入植したことで彼らは目覚め残虐な狩りを開始する。その後始末をさせられる二人の男。佳作。

バイロン・ケネディ オーストラリア1

a1. 『マッドマックス』(ミラー/ケネディ

 

 

 

a1.

友人の死をキッカケに警官を退職し、実家に帰省する場面がもっとも迫力がある。田舎に帰ると白痴が住んでいるのも非常に田舎ホラー的味わい。異様な編集が印象的なのは『バイオレンス・イン・シネマ Part1』でも編集を担当しているケネディの影響か。正面衝突の際の目玉や飛び立つ鳥のカット。画面手前に錆びた標識を置くことで画面全体の味わいが増している。世界観づくりとしては、燃料が手に入りにくい時代であるため、マッチではなくライターを使った子分をトゥーカッターが叱る場面がある。また司法省とは思えないほど崩壊してしまった、ほとんど廃墟のようなビジュアル。これも崩れかけた門を手前に配置しているのが大きい。署長が家で丁寧に緑を育てていたのは緑すらも希少となりつつあるということなのか。友人、妻、子供の死に悩まされる場面ではそれまでの淡々とした演出を離れて唐突に悪夢的なビジョンが。ベンチでかぶり物をぐしゃっと潰す気味の悪いカットも印象に残る。映画において、鼻持ちならない輩はとにかく喧しい、というのは重要。ナイトライダーや次作のヒューマンガスどちらも演説で煽り、戦意を削いでくる。

拙さが荒々しさへ好転した事例として挙げられることが多いが、上のように細部を見ていくと(特に画作り、世界観設定が)たいへんよく考えられていることが分かる。それと荒さとが同居しているのだから凄まじい。

放電2

a1. 『テスラ エジソンが恐れた天才』(マイケル・アルメレイダ)

a2. 『狂ったメス』(ロバート・ハートフォード・デイヴィス)

a3. 『宇宙人の画家』(保谷聖耀)

a4. 『ファイヤー・イン・ザ・スカイ』(ロバート・リーバーマン

 

 

 

今日は放電デー2日目。

面白い記事があったので添付。「ニコラ・テスラと殺人光線」はわりかし有名な話か。

www.sciencehistory.org

 

 

 

a1.

コロラド実験パートはどのように映像化されようが面白くなる気がする。このような映画の作りならば、『古代の宇宙人』や『テスラファイル』を見るべきであった。もっとオカルトに寄ったテスラ映画を見たく、その点『プレステージ』はよくやっていたようだ。イーサン・ホークのテスラは板に付いていた。

 

a2.

『顔のない眼』フォロワーであることは間違いないが、陰湿さは皆無でコミカル。期待していた放電場面は存在せず、外科手術用の高熱レーザーで全員が焼かれるエンディングであった。「全員が」という点が肝要で、うねるレーザーの動き方が人間の意図に従ってはいないのが面白い。不慮の事故で顔が焼け爛れてしまったのがコトの発端で、救おうと尽力した人間までもが焼け死ぬことで幕引き、というのは因果応報とは言わないでしょう。野獣、と呼ばれる下品な警官?らが死ぬ様を見て一体何を感じろと。物足りないのは、「ビーム」を可視化して欲しかったところ。

 

a3.

「宇宙人」をAlienation=異化効果から解釈してみせていたのが後藤護さんだったが、いやいや『ファイヤー・イン・ザ・スカイ』顔負けのれっきとしたアブダクト場面はしっかりあるではないか。さらにアブダクトの影響が個人の人生を左右するだけに留まらず、K市/学校全体にまで波及し、段々とたがが外れてゆく。その「たがの外れ方」も見物で、序盤からすでにシネマカメラで撮られた映像とフリー素材映像・写真と、異なる質の映像が混在しており見づらいことこの上ないのだが、K市/学校が崩壊に近づくにつれて更に混乱を極め、終いには実写→アニメへと次元が下ってしまう。ただそこで終わらないのが良いところで、アニメから更に次元が下り、純粋な「光」だけにまで至る。表象可能なものの臨界点に到達してしまった「虚無ダルマ」の最終形態である。セミョーン・アラノヴィッチ『北極圏対独海戦1944/トルペド航空隊』でも平然と異なる質の映像を混在させていたが(カラー/モノクロ、ミニチュア/実写/資料映像/写真が入り乱れる)、活劇的つなぎでそれらに串を通しているのに対し、本作は「光」なのだなあ。他に際立っていると感じるのは中盤のクレジットシークエンスで、堂々と打ち出される役者の名前など、全く知らない。そんな無名の素人たちがこれからスクリーン上で暴れ回る宣言と受け取り、目頭が熱くなる。『戦艦ポチョムキン』を見て思わず立ち上がってしまうのと同じ心情。いやでも思えば所詮「漫画のキャラ」として片づけられてしまいそうな彼らをあれだけ立たせているのだから、誰が主人公かなんて愚問。長嶌さんの言う、「誰もが主役であり、脇役でありうる」映画とはこのことか(この表現は1990年代以降よく耳にするのだが、それには当然レンフィルム映画祭の存在がある)。物語の構造を見ても、虚無ダルマに寄り添うようにはじまる本作は、交通事故を起こして宇宙に飛んで行ってしまってからの虚無を終始突き放して描いていた。しかしアニメパートに入って再び、虚無に寄り添い始める。このような付かず離れずの関係が特異。あとこれは、単純なアナロ自己満足にすぎませんが、「演説」(本作ではラップ集会)と「自作の兵器で身を滅ぼす悪役たち」という展開をクライマックスに用意している点は『成吉思汗の仮面』と類似している。死すフー・マンチューに対し、虚無ダルマ自身は救済されて観音と合一、さらに謎の老人による一言を添えているのが本作の倫理観である。

 

a4.

非常にウェルメイドな映画であり『未知との遭遇』のようなぬるい映画はこれを見てしっかりと勉強して欲しい。本作ではしっかりと検体場面などが用意されており、これがとにかく恐い。無重力表現もかなり見れるものに仕上がっている。アブダクトされた「後」の人生に焦点を当てており、明らかに違う人となって帰ってくるのは、これもまた真に迫っている。ただ、ラストはいただけない。マイクも誘拐してしまうんじゃないかと最後までハラハラしてしまったが。良作です。

 

放電1

a1. 『MAD GOD』(フィル・ティペット

a2. 『成吉思汗の仮面』(チャールズ・ブレイビン)

a3. 『プレステージ』(クリストファー・ノーラン

 

 

ひたすら未見の放電映画ばかりを追った一日。明日もその予定ですけどネ。

友人から婚約の報告を受けて驚く。もうそういう年頃よね~。

 

 

a1.

素晴らしい!レビ記から映画が始まるように旧約聖書のグロテスクな表現をさらに拡大解釈して提示してみせる作品なのだが、とてもじゃないが目で追いきれる情報量ではない。ゆえに台詞は最小限、というかほぼ皆無。ティペット曰くこの過剰な情報量を「われわれは既に見ているのだ」とのことで、これには唸る。そう、確かに見ているのだ。The Assasinと呼ばれるガスマスクの男が松明を手に階段をただただ降りるだけのフッテージを見たティペットがそのイメージに突き動かされて、いにしえの企画を再始動させたそうで、冒頭ひたすら垂直に下降し続けるシークエンスが非常に美しい。特にアメリカ映画においては横方向に世界がぐんぐん拡張されていくのが一般的なのに対し、今作は縦移動。移動の過程で糞尿を元に産み出されたブードゥーゾンビみたいな奴らを目撃するガスマスク男は、監視員にぐちゃぐちゃに踏みつけられるゾンビ達に、その命の軽さを憂いて思わず感傷的になるのだが、彼もまた到着してすぐ小人たちを知らず知らず踏んづけていたのであった。ただガスマスク男とゾンビとの間に生まれる一瞬のつながりには心掴まれティペットの技が光る。さて、問題の放電場面は二度あり、一度目はゾンビの元の糞尿をひたすら生成するクリーチャー達の脳を直接刺激する放電。二度目は糞尿処理を任されているクリーチャー達はゾンビたちよりもハッキリとした自我が芽生えており喧嘩を始めるのだが、それを監視員によって咎められる場面で、またしても彼らの脳にビビビとやられる。どちらの放電場面も「脳」がキーワードでいわゆるDeath Rayとは異なるよう。ティペットにとって電気は生命に関わるものではなく(例えば『フランケンシュタイン』のように)、マインドをファックするものであり、あまり神秘的な電気ではない。「脳」関連で言うと、捉えられた主人公は手術台に固定され、内臓から何から抉られていく。その過程で金貨や財宝がはらわたの中からわんさか出てくるも、執刀医たちはそれには関心を払わない。彼らはついに腹の中から芋虫を手にする。どうやら欲しがっていたのはそれのようで、女はそれをどこかへ運んでいく。一人残された男は興味本位で主人公の脳味噌に「脳内視鏡カメラ」を手荒く突っ込む。するとどうでしょう、主人公が下降してくる中で見た光景が手前のモニターに投影されるのだ。なんてすばらしいシークエンス!こんなに良い場面は中々見れるものではないよなあ。同様のシークエンスは繰り返され、ドワーフみたいな見た目をしたおじさんが望遠鏡を覗くとそこにはメリエスの映画が投影される、というこちらも大変魅惑的な場面がある。「見る」からつなげると、「目玉」の印象が非常に強い映画。ファーストショットも目玉で、クレジット後のラストショットも目玉。ここまで繰り返し目玉を出されると色々と勘ぐってしまうのだけど。ただストップモーションで見る目玉の動きはとても面白い。血走った目玉がこぼれ落ちそうになっているのもキュート。音楽も良かったな、Dan Woolさんはアレックス・コックス映画の音楽で有名。傑作です。

 

a2.

さいこう~。放電映画の名に恥じない素晴らしいビリビリ。しかもフー・マンチューボリス・カーロフの名演!)の演説の迫力もすごく「演説映画」として売り出しても十分に客入りは見込める。

 

a3.

「タネをばらしてしまったら観客は離れていく」を映画の中で言わせるという、たいへんトッド・ブラウニング的な映画のはずなのだが。タネを最後の最後まで引っ張ることは映画ではすべきではなく、明かしてしまう方が得策。舞台なら離れるが映画なら離れない。せっかく分身テーマを扱えるチャンスだったのに、たいへんもったいない。テスラとの関わりという偽史要素は原作(プリースト『奇術師』)由来だそうで、こちらは面白い。

 

オフ

a1. 『ジュラシック・パーク』(スティーブン・スピルバーグ

a2. 『ジュラシック・パークⅡ』(スティーブン・スピルバーグ

a3. 『ジュラシック・パークⅢ』(ジョー・ジョンストン

a4. 『ジュラシック・ワールド』(コリン・トレヴォロウ)

a5. 『ジュラシック・ワールド 炎の王国』(コリン・トレヴォロウ)

 

 

 

たまの研究オフ日にはこうやってシリーズものを一気見していきたい。『炎の王国』は初見でした。ただ、5つともかなり退屈であった。「火を噴く」くらいの嘘をついてもらわないと教材ビデオを見させられているようでしんどい。遺伝子工学が云々説かれたところで何がおもろいねん。とても安直な映画ばかりでかなり最悪。圧倒的悪役不足なのが駄作となった由縁であり、もっとまともなキャラクターを考えて絞り出さんかい。ドラマとしてもっとも引きがあるのは『パーク』なら当然ハモンドであり、製作側も勿論それは分かっているからアッテンボローをあてているわけだが、活かせていない。やるなら「趣味でしこしこと生成していた恐竜たちが逃げ出してしまい、街はパニック。その責任を問われた教授は後始末に追われ…」というプロットを際立たせて書かんかい。遊園地で囚われの身であった恐竜たちが隙を見て逃げ出し不可抗力で人が死ぬ…の何がおもろいねん。

 

 

 

a1.

ブラキオサウルス?登場の場面なんかはかなり古臭く退屈なのだが、Tレックスが登場する前の細かい演出の積み重ねは流石の面白さ。水面に映る「振動」と俳優の「リアクション」を同じカットに収めたい、という欲望が溢れまくっている。オープン前ということもあってか、パーク内の恐竜たちに過剰なサービス精神がないのも見やすい。子役にあまりにも託しすぎているところは相変わらず苦手。

a2.

シリーズの中では一番面白い。物語のドライブ感を着実に捉え得ているのは本作品だけではないだろうか。無論、物語がうねり出すのは「災厄が海を越えてやってくる」ところであり、ファーストショットから「海」を提示しているから、監督も勝負所をしっかりと分かっていたのでしょう。通俗に行き着いてしまったのだ。いかにも頭で発想されたキャラクターの動かし方が鼻につく前半に対して、後半になるにつれてうまくノせられる。麻酔銃を手にするまでの流れも見れる。

a3.

全体像を見せたいのか、見せたくないのかが終始曖昧。予算なくて大変だったんだろうなあ。

a4.

新旧レックスの直接対決にもハルクスマッシュくらいの勢いがあれば…

a5.

ラストにモササウルスがチラ見えするカットだけは超良かった。アレはスピルバーグもやりたかっただろうなあ。シーサーペントの写真とか大好きだろうし。あのカットはホントウに良かったので、ああいう処理の仕方は実にもったいない。