コロナ病床日記⑥ ドイツ映画

a1. 『伯林/大都会交響曲』(ヴァルター・ルットマン)

a2. 『周縁で』(トーマス・アルスラン)

a3. 『晴れた日』(トーマス・アルスラン)

a4. 『ムーンフォール』(ローランド・エメリッヒ

a5. 『ベルリン・アレクサンダー広場』第3話(R・W・ファスビンダー

a6. 『ベルリン・アレクサンダー広場』第4話(R・W・ファスビンダー

 

 

a1.

表層的な映像のリズムが軽快で見れてしまう。そこへの批判をしたのがクラカウアーであったと。演出された映像とそうでない映像とが混在しているため非常に見づらく感じる。演出された映像の中には、たとえば『眠るパリ』のオマージュと思しきカットもあったり。

 

a2.

映像を見る力をもっと養わねばならないな、と反省。東西の建物の差異をそれとなく示してみせるアルスランによる、ベルリンの壁跡地を巡るドキュメンタリーで、かなり見落としている点も多く、検問所の存在など指摘されてはじめて気付いた。

 

a3.

すばらしかったです。ただ歩いているだけでキャラクターとして魅力的である、つまり他のキャラクターとの関係性の中で捉えてはじめて魅力が増すのではなく、彼女ひとり画面に映っているだけでもう十分である。渋谷先生が21世紀の作家映画のあり方の特異な事例、と仰っていたが言い得て妙。「作家の映画」との絶妙な距離の取り方こそ、新ベルリン派という感じ。

 

a4.

コメントなし。以前に書いています。

 

a5.

靴紐売りをするフランツが、訪問した先が戦争で旦那を亡くした未亡人が住んでおり、たまたま死んだ旦那にそっくりだったために良い仲になり20マルクほど掠め取ることに成功。さらに別棟にはエヴァが住んでいたりと、訪問販売先ではかならずドラマが用意されている。未亡人との関係は、間にリューダ(ハルク・ボーム)が割り込んだために破局してしまう。これは後のフランツーミーツェーラインホルトの関係を思うと、すでに示唆的な事件だった。落ち込んで日雇い労働者用の宿に逃げ込み、行方をくらますフランツ。この宿が良い雰囲気だった。

 

a6.

このエピソードはやや難解と言えるか。酒に溺れ、意識朦朧とするフランツと、間借りするアパートの隣の部屋の住人による強盗事件の発生、という、とりとめのなさが印象深い。「教養小説」らしく屠殺場の写真がただただ列挙されるシークェンスや、天使と子羊のイメージカットなども挿入される。フランツの精神世界に立脚した、場面と場面の連なりと見れる。間借り人のアドバイスを鵜呑みにするフランツであったが、その人は果たして神を名乗る悪魔ではないか、という問いかけも教養小説らしいと言えばらしい。ラストカットは、平和活動家カール・フォン・オシエツキ-が反逆罪に問われた?ことを知らせる新聞記事のアップで終わる。