見逃した新作ホラー見ていくで~(day~)1

a1. 『ナイトハウス』(デヴィッド・ブルックナー

a2. 『ポスト・モーテム 遺体写真家トーマス』(ピーター・ベルゲンティ)

a3. ベルリン・アレクサンダー広場』第9話(R・W・ファスビンダー

a4. ベルリン・アレクサンダー広場』第10話(R・W・ファスビンダー

 

 

 

おもしろい記事があったので添付。大和屋竺による「ゆれるまなざし」という論考が収録されているのはおそらく『悪魔に委ねよー大和屋竺映画論集』であろうか。この「ゆれるまなこ」で印象的な俳優はコンスタンス・ルソーで、とくに『ダゲレオタイプの女』の彼女のまなこは異様であった。最近見て「目玉」の印象が強烈に脳に焼き付いたのは『MAD GOD』でした。共にダリが関わっている『アンダルシアの犬』と『白い恐怖』も目玉映画、意外に思われるが『バルタザールどこへ行く』も動物の目玉映画。映画と「目玉」は掘っていきたいところ。

 

www.nobodymag.com

 

a1.

端役でステイシー・マーティン出演が嬉しい。良い線行ってる描写は散見されるも、アッと驚くカットがなかったので印象は薄いし、主役でエグゼクティブも兼任しているレベッカ・ホーンのこれ見よがしの芝居が鼻についた。『扉の陰の秘密』(ラング)へのオマージュとおぼしき「部屋を再現する」という発想、『吸血鬼』(ドライヤー)らしいドリームウォークの中で自分自身と出くわしてしまう感覚、『テナント』(ポランスキー)の家具の配置で主人公が狂っていることを描く手法、などなど良い描写は多いのだけれど、どれも参照元を超えれてはいない。複雑な迷路構造を持つトロイの街、カエルドロイアやルーヴル人形(呪術人形のこと)、ある書店が鍵となって物語が一瞬横滑りしていく感覚など、的確にポイントは抑えてはいるのだが。湖の向かいに反転した家を建設し、カエルドロイアを再現しようとしていた亡き夫の悲願の作品を一発、一枚画で見せて欲しかったところ。それがあれば諸々納得が行くはず。まあ、だまし絵的なホラー演出は面白かったので、良しとするか。一見ぬるいゴーストストーリーかと思わせておいて、裏をかくあの場面には唸ったし。あそこは良かった。

 

a2.

意外や意外、アタリでした。第一次世界大戦による兵役とスペイン風邪の大流行によって痛手を負ったハンガリーの村で起こる怪異が題材で「戦争怪談」的な色合いも濃い。霊に取り憑かれ発狂する老婆に銃撃戦のサウンドが重なる演出など、まさに戦争怪談のそれ。どうかしてるくらい暴力的な幽霊=悪霊のわるさにたまげる。屋根裏を走る足音、細かく揺れる水面からはじまり、次第に壁がメシメシとへしゃげ出し、人が宙を舞い、最後には家ごと沈んで地下水脈から水がドッと流れ込む衝撃的なカットまである。悪霊に、死体の周りにあつまる何か、といった設定しか与えていないのもまた優れている。狂っているか否かが幽霊表象の肝であり、本作は見事クリア。強いて言うならラストの死後の世界をトーマスの内面でおこる出来事として処理してしまったのは安易な選択であった。実際に地下には死後の世界が存在し、あの世からの「水」という設定でよかったではないか。遺体写真はあまり機能していない。ハンガリーの風景、かやぶき建築等、ロケーションは抜群でした。

 

a3.

これもたいへん良い回でした。居酒屋の店主マックスの助言も泣かせますが、共産主義者の集会に参加、というより冷やかしに出たフランツとヴィリーが冷笑的な態度をとることしか出来ない幕引きが何よりもすばらしい。フランツに至っては演説中にセックスの妄想をするくらいですから、まともに話なぞ聞いてはいない。第2話で共産主義者と口論になった際には秩序の大切さをとうとうと説くフランツであったが、今は経済状況が違うのだ。ヒモとしてうまいこと生活できてしまっているフランツにとっては秩序は不必要だ、とアナーキーなことを言い出す始末。

 

a4.

これも素晴らしい回。いや、震えた。とくにミーツェとフランツが床の上をごろごろと転げ回りながら愛し合う長いワンショットがとにかく美しい。『ゼイリブ』と並ぶ素晴らしい長回しだと思う。フランツにとってはミーツェとの出会いこそ試されているのであり、ミーツェのおかげもあって見事(一応は)誓いを守り抜いた。しかし肯定と否定の波状攻撃が作劇の基本であり、ファスビンダーは特にそれが達者である。愛人と旅行に出かけるミーツェ。結局はヒモ生活に逆戻り。ここに来て、孤独なフランツを見ていると前話のプロレタリアートの台詞が響いてくる。唐突な死体写真、死体の上を這う蜘蛛に驚く。シュヴァンクマイエルみたいなクオリティなのだが、アレは一体何だったのだ。