コロナ病床日記⑤ 見ていない日本映画を見ていく1

a1. 『赤軍PFLP・世界戦争宣言』(足立正生若松孝二

a2. 『戦後猟奇犯罪史』(牧口雄二

a3. 『ベルリン・アレクサンダー広場』第一話(R・W・ファスビンダー

a4. 『ベルリン・アレクサンダー広場』第一話(R・W・ファスビンダー

 

 

 

味覚・嗅覚・聴覚の大切さを思い知った。活力に直結している。ご飯をたべて何も味がしない生活、咀嚼しても咀嚼音が聞こえない生活、ゴミ出し前になるといつも臭いアパートが臭くない生活はうんざりやな。はよ治ってくれや~。明日はアルスラン楽しみなんやから、ちょっとは体調も改善していて欲しい。

 

 

 

a1.

武装闘争は、抑圧された者たちの言葉である」。重信房子出演。

 

a2.

面白い。西口彰は、緒形拳室田日出男が演じても、実際の西口がもつ色気には敵わない。なんてセクシーなんや。圧巻は第三部の大久保清で、大学生かつ活動家というだけでモテモテだった時代が舞台。強姦をし、殺害後に死体を埋める専用の空き地があったことを示す一枚画が印象的で、これは映画の創作だが、すばらしいアイデアでした。やっぱりこういう狩場がある方が面白い。あいだあいだの泉ピン子のショーも軽妙で、これくらいの娯楽映画が生み出される土壌は良いですな。

 

a3.

出所した直後、あまりのベルリンの騒々しさに驚いて思わず耳を塞いでしまうフランツに「罰が始まる」というテロップが重なるオープニング。刑期はたったの4年であり、ベルリンの急成長ぶりが見て取れる。頭がくらくらしていると、さっそくユダヤ人宣教師に捕まり、その後は娼婦を買う。娼婦相手にいきなり咬みついてしまうような札付きの男に共感の余地はない。4年もご無沙汰のせいか、もしくは4年前の性と暴力とが引き起こしてしまった大事件の罪悪感からか、一切たたず笑われるフランツ。隣が劇場で、娼婦の甲高い笑い声と劇場から漏れ聞こえるナメた音楽とが重なる、たいへんやかましい場面。このやかましさは本作の通奏低音に。つぎは衝撃的で、自分が殺した妻の妹に会いに行き、強姦まがいの性交をする。まだ「誓い」を立てていないからなのか。ここで、外から子供の声が聞こえたから、周りの住人に密会を見られないようにフランツをしょうがなく家内に引き入れる。こういう、フランツの外から行動に影響を与えるものと、フランツ自らかき乱していく行動とが両方描かれるのが面白い…いや、これこそ普通の作劇だと思うけど、こういう基本的なことは抑えてやって欲しい。あと、やはりフランツに対してネガティブな見方が基本となっている。これも基本でしょう。それから「testifortan」という心身症インポテンス治療薬が登場。ヒルシュフェルドとシャピロによって1920年代に研究開発された治療薬で、ナチス政権誕生後にはヒルシュフェルドの取り分は国の負債に当てられたそう。へー。プラスしてファスビンダーが時々語りかけてくるのだけど、優しい声をしている。

 

テスティフォルタン

ddnavi.com

↑これは読みたい。

 

a4.

これはかなり上位に組み込む好きなエピソード。ネクタイピンのたたき売りも、アンダーグラウンドで同性愛を扱うエロ雑誌販売もリーナに止められ、生活は困窮。今エピソードは机の上に積み上げられた、彼らの全財産であるたった2マルク程度を接写で捉えたカットに「死にたくなければどう生きるか」とタイトルインすることからも、問うているテーマは生活費である。生活費はないが、リーナ、フランツカップルの明るさで仕事はなくても何とか元気に、平和にやっていこうと前向きな二人は、文字通り『新世界』というビアパレスに景気づけに出向く。するとそこで出会うのがナチ党員であり、機関誌フェルキッシャー・ベオバハターの販売員を任されることになる。この新世界=Neu Weltも実在のビアパレスで、20年代後半からは国家社会主義者が出入りする店だったそうだ。ゲッベルス主催のプロパガンダパーティーも催されていた。この場面で党員が「声」について言及しているのが興味深い。たたき売りも、雑誌販売も、新聞販売も声、声量や演説力に関わる職種であり、後半にはコミュニストとの合唱合戦まで用意されているのだから、テーマは声だとも言える。生活費のためにおおきい声を出さねばならないフランツが知らず知らず、声量はそのままにフェルキッシュな内容を喚くようになる…。その前には、リーナに「おれは口下手だからさ」ともぼやいている。ファスビンダーは、バーでの口論にて、フランツに思いの丈(「今の時代、平和にやっていきたいだけなんだ」と)を叫ばせながら、彼が退場したあとにカメラがすっとコミュニストの側に一瞬寄り添ったりと、この場面の語り方は非常におもしろく、シリーズ随一の場面とも言える。