言うは易く行うは難し、暴力の痕跡

a1. 『オフィサー・アンド・スパイ』(ロマン・ポランスキー

a2. 『フランティック』(ロマン・ポランスキー

b1. 『マーベル映画究極批評』(てらさわホーク)

 

 

a1.、a2.

ポランスキーの作品の見所は「暴力」にある。その暴力は、例えば個人の怒りによるものではないし、たけし映画のような「空虚」と呼ばれるものでもないし、ミヒャエル・ハネケのように暴力とそれを引き起こす社会構造とを並列して語る類いのものでもない。ポランスキーの暴力は、力点がその暴力の「痕跡」に置かれている。どこか黒沢清『CURE』のX印を思わせる。両者共に、ノワールの資質がある作家なのだろう。『オフィサー・アンド・スパイ』では、書類を偽造したことをゲロったアンリ中佐が何者かによって口封じのために暗殺され、翌朝その死体を目撃する場面があるのだが、中佐の身体の上を伝う血の跡がどうしてあそこまで不気味に映るのか。そして決闘で受けた左腕の傷跡もしっかりと確認できるように撮られていた。『チャイナタウン』と並び、忘れがたい死体である。それから『オフィサー・アンド・スパイ』で特筆すべき点として、もう三つ。一つは弁護士が射殺される場面にて、『北北西に進路をとれ』でヒッチコックが試みていたような演出に手を出しており、見事な成功を収めている。そこからチェイスが始まるのだが、ここはやけにあっさりと犯人の姿を見失ってしまう。この、全体像を掴もうとするやいなや霧散してしまう感覚は、全編に亘って貫かれる。反ユダヤ主義のとらえどこのなさ。あくまで、「まだ」か。二つ目は、れっきとした法廷映画であること。やっぱり法廷は面白いなあ。画面が締まる。そして「指差し」が強調されていた。極端にパースが歪んだ画がポンと入ってくるのも本作の特徴か。あ、そういえばフランス領ギアナ・悪魔島に島流しにされたドレフュスがいよいよ法廷に被告人として再度召喚される際、ポン引きをしていた。しかも記憶の限りでは、5度も引いている。軽快な編集で見せてくれるのも本作の特徴であり、件のゾラ、J'accuse!場面で、軍部の高官が次々と告発されていくシークエンスはデスプラの音楽も相俟って否応なく盛り上がる。ああいう豪快な編集もこなしてしまうポランスキー。三つ目は(先に言ってしまったが)音楽のデスプラ!大好き。今回も良かったねえ~。不満な点も一つ。主人公のピカール大佐のキャラクター設定は余りにも温すぎやしないか。「史実」という映画製作の名目を笠に着て手を抜いているように思える。ドレフュスとまるきり同じ筆跡を見ることにより動き出すのだが、陰謀の発露が「字」だなんて、どうも印象が薄い。また公衆の面前で屈辱を受けたドレフュスを思い、涙を流すくらいの純朴な軍人、くらいに設定しても良かった気はする。ただ、ユダヤ人が嫌い、という設定は残したままで。

フランティック』は、エマニュエル・セニエが屋根から滑り落ちそうになる場面と、割れたバックウィンドウから走る車の中に乗り込む場面が、ジブリ映画に似たエロティックさを感じ、特に良い。またもやハリソン・フォードに猿芝居をさせる場面がある。『オフィサー・アンド・スパイ』に続き、こちらも「冤罪」が題材となっている。終盤、セーヌ川にある自由の女神像のお膝元での一悶着も、とても見応えがあり。死に瀕したセニエがフォードのポケットにこっそりと発信器を忍ばせる所をミステリアスに演出している割には、すぐにポケットの膨らみに気付いたフォードが川に投げ捨ててしまう。この、妙に引き延ばさず、やけにあっさりと事態が終結してしまう辺りはポランスキーの特長の一つか。そしてやっぱりこわい「死体」は登場。犯罪は、痕跡として示される。ただ今作では犯罪を行う組織の匿名性が低いため、終いには陳腐な印象が残る。

b1.

MCUについてまとめた文章はもっと読みたい。著者が繰り返し強調しているように、昨今の作品など、特に漫画らしさ全開である。映画の中にアメコミそのものが持つ馬鹿馬鹿しさが入り込んできている。ハッキリと「異様な作品群だ」と喝破している辺りは共感できるが、9・11がどうの、戦争がどうの言い始めると、途端に読み応えのない議論に。また、執筆当時と現在とではMCUの状況も大きく変わってきており、たった二年とはいえ、今読んでも響く書物ではなく、あくまでも過去の書物という印象。過去作を見直す際に、手元に置いておきたい一冊ではあるが、もっと狂った評論を読みたい。