情報過小社会、アナロ自己満足

a1)『合衆国最後の日』(ロバート・アルドリッチ

b1)『墓場の少年 ノーボディオーエンズ』(ニール・ゲイマン

c1)『Self Destruction Blues』(ハノイロック)

 

 

 

小バエが集る部屋で、偶々読んでいた本に、マーナ・ラムというアメリカ人女性が演出した演劇『But What Have You Done For Me Lately?』について書かれた項があった。この劇は20分程度の小品なのだけど、「男が妊娠する」というSF的設定があり、非常に興味をそそられた。更にその作品が60年代後半のアメリカ、というラディカルなフェミニズム演劇揺籃期に生まれ出てきたことに。フェミニズム演劇揺籃期の想像力が、怪異な設定を生んだのだ。それでネットでタイトル・作者を入れて検索をかけるも、ジャネット・ジャクソンによる類似したタイトルをもつ曲しか引っかからない。何も情報がない!情報がない!クソ情報がない!まあ本には引用注が付いていたから、そこから調べるか(しかし未翻訳である。日本語で読めるフェミニズム演劇の文献は非常に少ないそうだ)。ネットはまだまだ不十分やな。信用できるのはロシアのサイトくらいやで。

 

そこから『アネット』と「フェミニズム演劇」の関係について妄想を膨らませる。「フェミニズム演劇」にはよく「人形」が登場するようで(舞台ー観客の幻想があるからこその発想ではあるが)重要なモチーフの一つ。ウェンディ・ホフマン『Incest』がその嚆矢。『Incest』では父親と祖父に性暴力を受けたかつての自分が、人形として舞台上に登場する。劇が始まると、素っ裸にされた少女人形と、その傍らに投げ捨てられた衣服が散乱している。なるほど確かに(現実的な制約もあり)、人形は効果的だ。亀井亨『無垢の祈り』も少女への性暴力場面では突如マリオネット人形に差し替わり、人が文字通りモノと化していたのが効果的だった。『アネット』におけるベイビーアネットも、そういう文脈上にあるのか。いや、ただ(これは見ている時にも気になったが)それなら「母=Ann」と「娘=Annette」の話に収斂していくはずだろう。しかしそうはならず、視点はほとんど父親=Henryである。また、数少ないAnn視点である「Six Women Accuse」の場面での、あのシュプレヒコール劇的な演出は、女性であるAnnでさえ、そういったものに距離をとっているようだ(彼女は古典的な劇の舞台女優)。うーむ、意外と考え甲斐のあるテーマかもしれんな。しかし所詮「アナロ自己満足」ですな。私にはそれが限界だ。クソ、今日も球磨川研究&院試勉強が捗らない。

 

 

a1)

アルドリッチ作品頻出のポン寄りの快楽が溢れ出している。編集はいつものマイケル・ルチアーノで、アクションのテンポ感を出すためのポン寄り・引きだけじゃなく、アクションとアクションの間を抜くこともする。実際の空軍大尉が乗った車両を襲う場面では、間を抜くことで(繋がっていないのだが)テンポ感を生むのが上手い。「目ではなく肩を刺された」ことを示す、あの呆気なさもさすが。途中からはサイロ3を離れホワイトハウスを中心に物語は進んでいく。「おいおい、今ランカスター達は何をしているのか見せてくれよ」と悶々とするのだが、そんなこちらの気持ちを見透かすかのように、再びサイロ3に戻ったときには、カメラはランカスターの顔のアップからすーっと引いていき、そこにカメラワークに合わせた劇伴が重なる。この瞬間ゾワっとした。おそらく撮影の経済的理由もあってか、ウィドマークは殆ど一人芝居。アルドリッチは別行動させるキャラクターの動かし方を心得ているはずで、ランカスターらを出し抜いてモンタナに居を移すことで見事に物語は盛り上がるのだが、今作に限っては、ウィドマークの処理の仕方が果たして良かったのだろうか、と疑問が残る。また、大統領の死と、彼からの遺言を託されたザックが立ち去るのに合わせてカメラは浮上・旋回して終わりを迎える。ここも『ワイルド・アパッチ』のラストと比較してしまうと、どうもエンディング然とし過ぎじゃないかな?あまり好きな方ではないけど『アパッチ』の終わりの方がまだ好きだ。エンディングで人が死ぬ場合の演出としては不満が残る。ただ、ゴールド作戦からミサイル発射目前までの一連の流れ、それから大統領機まで進む際のぐるぐる、全くオーラのないアメリカ大統領が余りにも面白かったので、満足。

b1)

ジャーロ映画のような始まり方をする本著。「え、これカーネギー賞受賞の児童書だったよな?」とまず驚く。だって黒服・黒手袋の怪しい男にたった5歳の赤ん坊が殺されそうになりながら何とか脱出するのが冒頭。恐い。そして行き着く先が人の寄りつかない墓場であり、赤ん坊はそこに棲む幽霊たちに育てられることになる。恐いと言ってもキング的なモダンホラーになるのではなく、数々の神話を換骨奪胎した貴種流離譚である。「夢歩き」という死者が使える技が出てくるが、これも旧来の、内からではなく外からやってくる夢の感覚だ。主人公であるノーボディは姿を消す能力を体得するのだが、そこにメンタルの問題が介在しているのが面白い。地下墓所に棲むスーリアも、訪れる者を恐がらせることしかしない。いじめっ子のモリーらにも、ノーボディは直接危害を加えることはせず、驚かせる。仲良しのスカーレットは、そんな常人とは違うノーボディの本性を知り、目に恐怖の色を浮かべる。このようなメンタルについての書き込みが、本書が普遍性を勝ち得た由縁だろうか。最後は不覚にもうるっと来てしまった。

c1)

暗すぎ。Self Destruction即ち自己破壊であると。にしても暗い。勝手に、もっと景気良い曲だとばかり。taxi driverもわざわざ”your”である辺りが気色悪い曲だ。アベルフェラーラ映画みたいな都市の底辺の香りがするかと思ったけど、こういうのが当時「ウケる暗さ」だったのか?そこまで深刻かと言われれば、どうなのだろう。表題曲、Problem Child、最後のDead by Xmasは中々好きでした。暗いけど。

♪You'll be dead by Xmas now anyway, You'll Lay beside me in our family grave, We'll be making love eternally, In a spiritual way

だってよ。