ああ、心臓抜きで生きれたら!ただそれはそれで…

ボリス・ヴィアン『心臓抜き』を読んだ。す、素晴らしい!良すぎる! 

         

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これも例によってジャケ読み。イタロ・カルヴィーノかなんかの小説を読んだ時だったか、誰か文芸評論家がヒエロニムス・ボスの絵画と比較しながら『まっぷたつ子爵』?を評しており、そこからの連想で「ボスっぽい装丁の小説」を探していたのだった。そんな時出会ったのがヴィアン『心臓抜き』。ボスのゴシック感はないけど、残酷なリアリズムと仄かな寓意を感じさせる作風が近いか。それ以上に本表紙は「機械仕掛けの有機物」であることが強調されており、そこが特異である。デザイナーは小竹信節。寺山修司の舞台美術なんかを担当されているそうだ。

 

                                                           

                       謎の天才画家 ヒエロニムス・ボス - シブヤ経済新聞  

 

最近ではこんなのも見つけた。食人小説。

 

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で、『心臓抜き』。これが素晴らしい。とても仏語に根ざした文章であるために、ヴィアン特有の洒落はほとんど把握できていないが、それでもこの奇異な世界に惹かれる。田舎町に突如現れる「赤」というモチーフは映画『荒野のストレンジャー』を思い起こさせる、奇天烈な設定。「赤」は、例えばダリオ・アルジェントギャスパー・ノエなどが扱うとそれっぽい赤になりがちだが、イーストウッドの赤は、赤に込められた象徴性が剥ぎ取られた、剥き出しの赤、という感じ。本著における赤にも似た質感を感じる。不可思議な所が、パートカラー的に赤かったりする。

私は面白いと感じたが、物語にはキャラクターが不足しているようには思える。何かこう、古典的な?作劇ではなく、確かに場面と場面の連鎖はときに現世の理屈を超えてしまうが、読後感がスッキリとしない。この「神から見放された田舎」には秩序が存在しなのだ。唯一田舎から抜け出すことに成功するのは、アンジェルただ一人である。可能性が残されていた(文字通り飛翔することで)三つ子は、籠の中に閉じ込められることになる。そうなるとこの田舎全体を覆う目に見えない籠を想像してしまうではないか。ただ、籠からの解放=嗚呼、自由で素晴らしいとはならないのがヴィアンの優れた点だ。仮に三つ子が自由に空を飛べる鳥として、籠から何とか脱出したとしても、彼らは害獣として駆除されてしまうかもしれない。ペットショップでいつもよく言われる注意事項である。「絶対に逃がしたりしないで下さいね。コレは害獣ですから、生態系が乱れます」。三つ子は必ずや生態系を脅かす、害獣であるため、再び別の籠に閉じ込められるに違いない。そして脱出出来たかに見えたアンジェルであったが、『トゥルーマンショー』よろしく、書き割りの世界にぶち当たる瞬間が訪れ絶望するのではないか、と想像させてくれるヴィアンの筆致。現実を悲観的に捉えている作家は、ゴールがあるなどと思っていない。まあそれは問の立て方が誤っているんだし。籠を抜けた先は、また籠。抜けてもまた籠…の繰り返し。ジャックモールの(結局成就することはなかったが)恐ろしい計画にも、その一端を垣間見える。医師であるモール(医師であるのに、名字が「morte=死」!そして万能医者ではなくただの精神科医!)が、三つ子とクレマンチーヌを籠に閉じ込め、自身がその主となり、死ぬまで「診断」を下し続けるという恐ろしい計画だ。病気が治るも治らないもモールの気分次第。だって「診断」できるのは彼だけなのだから。そんな永遠の苦痛は、心臓曲線を描き、その曲線上をぐるぐると回り続けながら飛ぶマリエットとしても表現される。ああ、心臓さえなければ病気なんて気にすることはないのに!「診断」なんてへっちゃらなのに!ただご安心を、そんな主として作品世界を支配しているかに見えるモールも、クレマンチーヌから見ればただの「奇妙な」人に過ぎず。分かりやすい図式に収まらない。やはり無秩序だから。

ただそれを絶望的にならず、軽さをもって描写しているのがヴィアンの魅力的な点である。読んでいる間、あまりに醜い人間たちが、あまりに醜い所業を繰り返すのだが、なぜだか笑いが止らなかった。滝田文彦訳が素晴らしいのはもちろんのこと、司祭周りの場面など、抱腹絶倒である。まあ実際にペンテコステ派とかはああいう巡礼をしているそうだが…にしても司祭と聖道具係とがリング上でボクシングをするくだり、決着はレフェリーも兼ねている司祭(クソ!)がテクニカルノックアウトで勝利(クソ!)。腹を抱えて笑った。

 

穿った見方なのは承知の上、どこか『キラーエリート』にも通ずる叫び。「ああ、心臓抜きで生きれたら!ただそれはそれで…」。誰か抜け道を用意してくれ!