意外や意外『シン・ウルトラマン』

『シン・ウルトラマン』(樋口真嗣 , 2022)

 

『シン・ウルトラマン』を普通のスクリーンで見てきた。

米津玄師「SWITCH」の「シン・ウルトラマン」特集で主題歌に込めた思い明かす - 音楽ナタリー

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米津玄師のサムすぎるテーマ曲のせいで鑑賞欲が削がれてしまい、公開から五日も経過。重い腰を上げ見に行くと、意外や意外、面白い。たしかに『シン・ゴジラ』風のドラマパートの進め方は空回りしており、苦言を呈されている方の気持ちも分かる。だが私はその空回り感より、登場人物たちの「物分かりの良さ」を評価したい。「物分かりが良い」ということは、観客は置いていかれるしかないし。

 

オープニングの『ウルトラQ』ネタ(ちなみに旧作ネタはここしか分からなかった。ウルトラ「マン」にはそこまでの思い入れがない。ただゴメスは興奮したな~)の提示の仕方を見るに、日本に禍威獣は当たり前のように棲息しており、災害は常態化している。禍特隊のあの様子を見れば、『シン・ゴジラ』とは異なる人物を目指していることが分かる。また「リアルな」危機感を演出しようという意図も皆無で、禍特隊は独立愚連隊なだけあって、構成員たったの六人だ。こういう設定も、『シン・ゴジラ』とは全く異なる。

ゴメス


斎藤工は取り残された少女を救うために「おれ行ってきます!」と立ち上がる。「危険だよ…」とか言いそうなものだし、まずお前が行くんかい、自衛隊員に任せろやとリアルに考えれば思うが、西島は「任せた!」と言う。この物分かりの良さというか、話の早さが良い。元はテレビ尺に合わせて、たったの25分程度で怪獣出現から対峙し決着を付ける、までを描ききらなければいけない、という理由により生まれた物分かりの良すぎるキャラクターたち。二時間の映画ならもう少し逡巡しても良さそうだが、全編通して見ても、そんなところは見当たらない。脚本はそこまで悪くはないと思う。評を見るに、「連続テレビ的な構成だ」として批判している輩がいるが、それの何がいけないのだろうか。上で挙げたようなキャラクターを創造するために必要だった土壌が、やはりテレビ尺25分のテンポ感だった、というだけのことだ。手抜きではなく、理性的な判断だと思う。世界観を開始10分程度で手際よく提示する、その手腕は天晴れ。それで80分くらいにまとめれていたら、『空の大怪獣 ラドン』みたく傑作になっていたはず(またもう一つ、『ラドン』の惹句は「阿蘇山から出現した~」とあるように、実際の土地を舞台に怪獣譚を紡いで欲しい、という批判が私にはある)。

 

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外星人としての斎藤工山本耕史も見事だ。ウルトラマンの設定には明るくないのだが、本作を見るに人間サイズの外星人がVaporみたいなスイッチを使って巨人化するみたい。それよりも、巨人が人間サイズにまで小さくなる、ギュッと濃縮する、という設定の方が良かったのでは?そうなると長澤まさみの巨人化は無くなるが、別にアレは無くて良かったし。そっちの方が、居酒屋場面の面白さは引き立ったと思う。ああいう馬鹿馬鹿しさを、昨今のMARVEL映画はわざわざ原作から省いてしまっている。そんな中で堂々と馬鹿に徹しており、好感を抱く。高尚なものを語る気など一切無い。

 

ジャックカービー『エターナルズ』

 

いや~白シャツの斎藤工と森の相性は非常に良かった。特に外星人・斎藤工が死んでしまった人間・斎藤工をじっと見つめる場面なんか危うく、最高だった。ああいう眼差しは大切にして欲しい。

 

シン・ウルトラマンの姿|映画『シン・ウルトラマン』公式サイト

 

 

バストサイズからフルショットまで、万遍なくウルトラマンを収めているが、中でも印象的なカットが超引きで、正面からウルトラマンを捉えたカット。幽霊表現に近い、異物感。いやはっきり言うと、狂人ぽいのだ。斎藤工の「おれは傍観者だ」という台詞もあったが、どこか人間とは違う距離感で物事を捉えているような、不気味な狂人感があって素晴らしかった。怪獣映画や巨人映画・幽霊映画は、普通の映画ではあり得ない距離感や構図で見慣れた光景を再発見するところに面白味がある。そこは十分達成出来ている。ビルとビルの間で、地面すれすれを飛行するカットとかも良かった。あと、長澤まさみウルトラマンは何度も目を合わせるのだけど、上を見上げるて良いなと気付いた。