蛸はいたずらがお好き『タコの心身問題』

OTHER MINDS-The Octopus, the Sea, and the Deep Origins of Consciousness   (Peter Godfrey-Smith , 2018)

 

ピーターゴドフリースミス『タコの心身問題』(みすず書房)を読みました。

ピーターゴドフリースミス『タコの心身問題』

 

久しぶりのジャケ読み。アランムーアか!とツッコミを入れたくなるような表紙を図書館で発見、思わず手に取り、一気に読了。私自身の知識が足りないこともあって、中盤置いていかれてしまったが、大変興味深く読みました。

 

昨年話題になったドキュメンタリー映画『オクトパスの神秘』では、タコと人間との触れあいが描かれていた。巣穴から人間目がけて飛び出してくる映像や(それもどうやら、人を認識している様子で)、手をつないで共に遊泳する映像、鮫に喰われて死に絶えていく映像などが衝撃的であった。「フィクション映画におけるタコ」ではないので期待のモノが見れたわけではないが、素晴らしい映像だったと思う。スミス氏も褒めている。

 

 

『オクトパスの神秘』でも、撮影者はタコのもとをSheと呼称していたのだが、本著でも時にタコ(もしくはジャイアントキャトルフィッシュ)はHe/Sheと呼ばれる。第一章ではタコのことを「地球外生命体」と形容しているものの、実際に手を取り合って触れあう機会のあった(そして死の間際にも立ち会い、捕食しようとするカワハギから身を挺して護る)ジャイアントキャトルフィッシュのことを、思わず「彼女」と呼んでしまっている。また筆者は、タコが短い寿命の中で激動の一生を送ることを、ロイバティに喩えたりする。実際、タコは、食べられないことが分かりきっているものに対しても関心を示す。そのため、たとえ人間であっても、何か「わかり合えた」と感じる瞬間が訪れることがあるのだ。

 

タコの寿命は短い。およそ一年か二年程度だ。そのような短い寿命は、タコが進化の過程で「殻」を捨ててしまったことに由来するそうだ。捕食の危機にさらされたタコは、一生の内に何度も卵を産むのではなく、一生に一度だけ卵を産む体質に変わった。そして産卵を済ませると死んでしまう。そのような変異が起こったことがきっかけで、寿命が短縮してしまったそうである。「殻」の有無だけで、寿命にここまでの変更を強いるのであるが、変化はこれだけではない。「殻」が無くなったことで、タコは自由自在に身体を変形することができつようになり、人類や他の動物のように、自己/世界との間の境界は固定化したものではなく、常に揺らぎ変化し続けるものになった。このことが、タコの複雑な内面を作り上げた一つの要因だ、と筆者は述べる。人類に置き換えて考えてみると、我々は、「これくらい手を伸ばせば、あそこにあるモノを手に取れる」ことを経験し、その経験が我々の世界認識を形作る。タコの場合は、腕の長さは常に変わるため、その世界認識が常に異なる、ということだ。

 

そして現状分かっている段階では、タコのニューロンの多くは、脳だけではなく「腕」にもあることが分かっている。つまりは、人類にとっての「脳」に相当する体の部位は、タコにとっての「脳」と「腕」なのである。ここで筆者は興味深い喩えを持ち出す。人類にとって脳は、オーケストラの指揮者のようであり、トップダウンだ。脳からの電気指令を受け、各細胞は働く。しかしタコの場合、たしかに脳は指揮者だが、演奏者はオーケストラの団員ではなく、フリージャズシンガーなのである。半分は指揮棒に目を遣りつつ、もう半分ではアレンジを加えたり、自由に即興で演奏したりする。そうしてタコは、自身の身体を制御する必要から生まれたニューロンの数が増えるにつれ、様々な能力を得た。そしてタコには、上のジャズシンガーの例からも分かるように、余計なことをするだけの内面的な余剰があるのである。

 

「内面的な余剰」は、タコの「いたずら」として確認できる。古代ローマの著述家・クラウディオスアイリアノスが述べているように、「いたずらと創意工夫がこの生き物(=タコ)の特徴であることは明らか」なのである。実験者によれば、「タコに何が出来るのか」を見ようとすると、すぐに難題に突き当たるそうだ。問題なのは、学習や知性に関して実験室内で行われた多数の研究の成果と、タコの行動に関して知られている数々の逸話の間に「矛盾」が見られることである。他のタコが水中で餌を、報酬として得る中、あろうことか実験者に向って水を噴射するタコ。しかもそのタコは、たとえその実験者がどんな服を着ていようが、必ずその人を狙う。つまりは人を認識している。また、逃亡した、窃盗を働いたという逸話も後を絶たない。このようなところに、タコのいたずらっ子な側面を見て取れる。

銀幕上でタコが輝くのも、このような瞬間に他ならない。目玉はどこを向いているか分からず、生を感じさせないにも関わらず、どこかいたずらっ子気質で内面が複雑そうなところに私は惹かれているのかもしれない。

 

また、興味深い事例として、「オクトポリス」が挙げられる。オクトポリスとは、オーストラリア東海岸に位置するタコの生活空間のことで、貝殻が敷き詰められた海底(これを「貝殻のベッド」と表現している)で、十数匹のタコが共生しているというのだ。つまり、タコは蟻やミツバチのような、社会的活動をなし得る。しかも蟻やミツバチとは違って、タコにはトップダウンな命令系統が存在するわけではない。この共生区では、タコがお互いを共食いすることもなく(というのも、餌である貝が豊富にあるから)、時にはハイタッチ?までするそうである。オクトポリス、注目だ。

 

Octopolis

 

以上。中々に面白かったです。もっと自分の興味に沿った蛸本は、例えばこれとかなんでしょうか。

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他にも『楽園の真下』の影響で寄生虫に興味津々な私。こちらも気になります。

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