アンラッキーに語り継がれる

真面目に書こうと努めたところで、良文が書けるわけでも、アクセス数が増えるわけでもない。あくまでも日記だから、今後はもっとくだけた文章を書いていく。

 

『アンラッキー・セックスまたはイカれたポルノ』を見た。

            

こういう性器を象った映画ポスターていつ頃からの流行り?『ニンフォマニアック』が()を女性器に見立てていたのは当時中学生の私には大変刺激的で、周りに宣伝しまくっていた思い出がある。本ポスターは簡潔で良いが、日本版ポスターは文字がうるさ過ぎてデザインとして酷く、映画祭のレッドカーペットを歩く衣装とは思えないような地味で簡素な格好をしていた監督も浮かばれない。


ニンフォマニアック』もギャスパーノエの『LOVE 3D』も本番行為(unsimulatedと英語では言うらしい)ががっつりと映るが、日本での公開時にはやはりモザイクがかかる。

 

countryhighlights.com

 

『アンラッキー・セックス』はそこを捻っており、なんとモザイクがポルノサイト風の味わいに。挑発的だ。それによって逆に猥雑さを増しているという指摘は理解できるが、あまりその手の「逆に」論には賛成したくない。本作について言えば、冒頭の流出コスプレセックスを隠してしまうことで、第三部の私設裁判場面で言及される「鞭プレイ」が何だったのか分からないままだ。皮肉なことにネットには無修正版が上がっている。「ネットで流出映像を見ることで完結する映画」、か。それは如何なものか。敢えて<自己検閲版>と銘打つ宣伝は大したものだと思うし、戦略的にもよく分かる。かつて高校時代に製作した拙作でも局部がアップになる映像があったのだが、努力空しく先生陣にカットもしくはモザイクを要請された。その横暴な要請への当てこすりとして、敢えて超超超低解像度のモザイクを画面全体にかけて対処したこともあるので、(おこがましいが)何となく気持ちは分かる。モザイクを勝手に入れられると、作品の美学が蔑ろにされたように感じる。

うーん、ただ何か引っかかる。今や映画は、ネットを見ることで始めて完結するメディアになってしまったのか。本作の問題ではないのかな、これは。ルーマニア推薦のアカデミー賞出品作品でもあるのに、堂々とモザイクに「アカデミー会員全員が抜いた!」みたいなことを書くセンスというか、度胸は素晴らしいし。

というかモザイクそのものに、ある種の異化効果はあるでしょう。私たちが当たり前のように目にする字幕にだって、異化効果はあるわけです。現実世界から、目に見えない強い要請が働く瞬間とでも言いましょうか。普段は意識しないように努めているわけですが、「いや、そのことを強く意識させてやろう」という姿勢が本作を貫いている。その視点から見れば、上で疑義を呈したモザイク問題もすんなりと受け入れられるかも。

 

「現実からの要請」、その最も大きな要請が「コロナ」。第一部の冒頭、花屋で買い物をしている主人公エミが花の匂いを嗅ぐためにすっとマスクを下ろすまで、私は本作がコロナ以後の世界を舞台にしていることに気付いていなかった。後景にいる人々がマスクを付けているにも関わらず、です。まさに「路傍の小石」を再発見するような、素晴らしいカットだったと思います。もはやマスクを付けて外出するのが当たり前と感じるようになってしまった自分の鈍感さに、思わず寒気が。

他にもマスクネタは山ほど。まず、どんなマスクを付けているかが重要。これといって法則を見つけ出せるわけではないけど、変な柄のマスクやフェイスシールド、もしくはマスクを付けていない人に出くわした時、なぜか緊張感が走る。今しか出来ない(はずの)作劇で、見事だと思いました。また、外だから、とマスクを外して歩く主人公に対して通行人が「おい!マスク付けやがれ!」と注意する場面では、私の身体も思わず反応。映画館は暗闇なのでバレないと思い、がっつりとマスクを下げて顔を露出させていたのですが、無言でスッとマスクを上げました。これは正に劇場でしか味わえない体験で、非常に有意義な時間を過ごした。「配信で見ればいいや」、なんていう腑抜けた人らをクサす場面でもあるのでしょうか。こういう些細な描写が頗る面白い。あ、そういえば突然カメラに向かって「オマンコなめてよ」とだけ言い残して去って行く通行人がいたが、アレは一体何や…?

またセックス自体、フィクションの世界に亀裂を入れる表現です。ソフトコアではそうはなりませんが、ハードコアともなるともう見ていて落ち着かないし、本番行為をする俳優さんの進退が不安になったり、と余計な心配までしてしまう。

 

ラドゥ・ジュデは優れた監督だと思います。それほど過去作をフォローできてはいませんが、特にロマ差別を扱った『アーフェリム!』は、ルイス・ブニュエルを想起させる、傑作でした。それに『野蛮人として歴史に名を残したい』も素晴らしい作品。どちらでも、「一個人が歴史に名を残す(してしまう)」ことが語られる。『アーフェリム!』にて、木の周りを親子でぐるぐる回りながら、「後世の人々は我々の行動を評価するのだろうか?」という台詞、その言わせ方が素晴らしいと思いました。それを作家性と呼んで良いなら、『アンラッキー・セックス』も、「一女性教師が(流出映像によって)ネット上に名を残してしまう」物語です。後世にまで語り継がれるかは分かりませんが、一生セックススキャンダルの烙印を押されたままでしょう。

うん、面白かった!