見逃した新作ホラー見ていくで~(day~)3

a1. 『キャビン・イン・ザ・ウッズ』(ベンソン+ムーアヘッド)

a2. 『アルカディア』(ベンソン+ムーアヘッド)

a3. ベルリン・アレクサンダー広場』第13話(R・W・ファスビンダー

a4. ベルリン・アレクサンダー広場』エピローグ(R・W・ファスビンダー

a5. ベルリン・アレクサンダー広場』総括

 

 

 

おい、あつすぎんだろ。PCR検査の結果が届き無事陰性と証明されたので、そろそろ街に繰り出そうと思っていたのに、なんやこの気温は。

 

江戸川乱歩『犯罪図鑑』より「耳・耳・耳・耳!」。禍々しい耳のコレクション。耳にも特長はありますよ!

命がけの夫婦喧嘩!1467年のドイツでの夫婦の裁判の様子。す、すごい、夫婦版の決闘裁判や。

これも恐いです、ブハラ(現ウズベキスタン)の死刑塔。

現在の写真?何か全然雰囲気違うな。もう残ってないのか?

東トルキスタンの歴史概況と中国の民族政策⑧ ―イスラームの国際 ...

こちらはメリエス『トルコの死刑執行人』(1903年)。めちゃおもろい。

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今度やる『FALL』はこのブハラの死刑塔が念頭にあるのだろうか?

映画『フォール/THE FALL(2022)』物語エンディングまでネタバレと感想「恐怖中毒者にはたまらない作品」 - alpaca76

 

 

 

 

a1.

はじめは不安に思ったが、意外にも見れる映画だった。ヤク中の友人から謎の発狂ビデオが届き、心配した主人公は彼を更生施設に入れようと奮発。まずは一週間のヤク抜きから始める、汚いトレーラーでの共同生活。その中でヤクつながりの面倒な人間関係や実はそこはインディアンの保留地であった、という展開もある。洞窟の中に秘密を探りに行く主人公が中でヤク中を発見してしまう場面や、インディアンがドラックディーラーを撃ち殺すカットなど、いちいち見せ方が良いので、意外にもダレない。中盤から変な方向に物語が横すべりしだし、さいごにはその変なものの片鱗をチラリと見せる構成も見事。まず、あんな急斜面かつクソ田舎かつヤクが蔓延る土地を映画で見たことがなく、田舎ホラーとしても見れる良いディテールの数々。『アルカディア』の前日譚だそうです。

 

a2.

ああ、さいこう!ノーマルなカルト宗教ものかと思わせて、内実はラヴクラフトの思想に則った幻想怪奇映画であった。こういう映画を求めていた。烏の異常行動、という都市伝説化している事象から観客をアルカディアへと誘い、ループ、という肝心なワードが登場するまでが異様に面白い。「カルトっぽい」を導入に怪奇な出来事を扱う。森の奥にひそむ何かに引っ張られる二人、ブイの下に眠るものを目覚めさせてしまう兄。ひたすら同じコースを徘徊しつづける狂人。そんな狂人の戯言通り、二人はすでにループに巻き込まれていた。冒頭はラヴクラフトの言葉から始まり、彼から多大な影響を受けつつ曲解をしたルイスやトールキンについての言及もある。叶うことならベンソン+ムーアヘッドの脚本・演出による『指輪物語』『ナルニア国物語』を見てみたい。未知なるもの、表象不可能なものといかに対峙するか、ホラー映画が勝負をかけるべきはその一点なのである。たいへんな怪異がサイドミラーに映り込む演出は優れていると感じたが、最後はやや説明的になってしまっている点だけはもったいない。あ、前作に引き続きですが、キャラクターがみな魅力的で飽きない。ピューマと遭遇するカットはなんとスクリーンプロセスを使用とのことで、驚く。合成の質感を大切にしている。替え歌にされる「House of the rising sun」はパブリックドメインらしく、これも予算を抑えるための方策。秀作。今後に激しく期待。

 

a3.

プムス強盗団の犯罪は、商品を盗む強盗から現金強奪にまで発展。これまではまだ可愛らしい犯罪だったが、いよいよ可愛らしさはなくなり、メックはバーナーで火傷を負う怪我をしてしまい強奪は失敗することに。ラインホルト主導の計画は無理があり、やはり彼に関わると全員が不幸になってしまうのである。「神様の力を持った刈手」とは旧約聖書エレミヤ書からの引用だが、みな結局はバビロン=ベルリンに囚われることとなる。その事実に気付き、ラインホルトへの不信感を強めたメックは警察にミーツェ殺害、そして死体遺棄を告白。箱詰めにされ埋められたミーツェが発見されるカットで、カメラの前をスパンコールが散る演出が、残酷さ、儚さを高めている。新聞記事によってそのことを知るフランツは、ラインホルトとの愛憎関係をはじめて吐露。いよいよ二人の物語に終止符が打たれるエピローグへ。

 

a4.

ニューシネマの急先鋒だったファスビンダーがキャリア円熟期にて手法を先祖返りさせたようなシリーズだったと思う。当然、対象としている時代がワイマル時代であることと切り離して考えることは出来ないが、屋外であろうが屋内のように撮ってしまう、どこか現世から隔離された暗室に俳優を詰め込み、スポットライトを当てて映画を撮っているような。とても限定的な空間であり、機材等の制約を課すからこそ、逆説的に創造力の華が開く、というか。暗室であるからこそ、壁にあいた小さな穴から漏れ入ってくる光を撮れる、(カメラオブスキュラの原理で)その光で自由に、何でも投影できるということ。それはエピローグにおいて(屠殺場もそうだけど)「穴」がキーになっていることとも通じている。

また、このエピローグがあるからこそ本シリーズが今なおアクチュアルたり得ている。やけくそのように乱発されるポップミュージックとクラシックの数々、だけではなく本シリーズの、というか原作の時間感覚がはじめて提示されるから。それは「すべては同時に起こっている」ということ。ミーツェを殴りつけるフランツと、未亡人から金をむしり取るフランツとは同時にバビロン=ベルリンに存在していたのである。そのような、ある意味、決定論的宇宙が、フランツと二人の天使との旅の中で明らかになる。

 

a5.

タイトルに「ベルリン」とあるように、つまりは大都市ベルリンと人間との関わりについてのドラマなのである。フランツがプムス強盗団の犯罪計画に巻き込まれてしまうのは、たまたまブルーノが殴られている所に居合わせたからだった。フランツがわけもなくベルリンアレクサンダー広場にくり出したが故に、ブルーノが暴行を受ける現場に出くわすし、ナチ党員と同席してしまうし、コミュニスト集会にて冷笑的な態度をとり続けるしかなくなるのである。それは、フランツの周りの特殊な人間関係によるだけではなく、そこには都市の磁場がある。そんな磁場をも含めて描出し得ている。
またエピローグでは、そんな大都市ベルリンをバビロンに見立て、荒んだ都市を二人の天使と徘徊するフランツの精神の旅が描かれる。そこではじめて本シリーズの決定論的宇宙が提示される。すべては同時に生起する。フランツが未亡人から金をむしりとる時、彼は同時にミーツェに泣きつかれている。テーゲルから出てベルリンの変化に戸惑うとき、ミーツェはすでに棺桶の中。このエピローグがあるがゆえ、本映画は未だにアクチュアルな作品たり得ている。傑作。