the one

a1. 『おろち』(鶴田法男/高橋洋

a2. 『エクソシスト3』(ウィリアム・ピーター・ブラッティ

 

 

 

a1.

「ただ見ている」だけのキャラクターである「おろち」は、洋館での出来事に深く介入するわけではなく傍観しているのみ。キャラクターの掴み方としては金田一耕助に近く、彼女の存在自体が物語における「主人公」という曖昧な存在を批評的に捉えているよう。映画全編通して傍観者に徹するのかと思いきや、奇妙な憑依現象以降、彼女もまた洋館の煮詰まった空気に呑まれていき、血を抜かれるまでに至るところが物語のミソ。乗り移る役を、同じ谷村美月が演じているのが配役の妙であり、それによって傍観者としての「おろち」像は崩し過ぎず、そうでありながら物語を牽引するために「血」を与えるという、とてつもなく高度なことを成し遂げている。映像として出色の出来だと思うのは特に前半で、館を「おろち」を介して捉えている所に発見の面白さがある。しれっと召使いに扮する場面以降、よりその表現が板に付いてきているように思える。母親に「お前は誰だ」と詰められる「おろち」が、さっと額に手をかざし記憶をねつ造してしまう場面では、平凡な脚本ならばそのワンアイデアだけで終わってしまいそうなところを、「額を蜘蛛が這っていたので」という歪さを残す所が高橋洋脚本の素晴らしさで、これがあってこそ表現たり得ていると思う。同じことは、血液型をごまかした云々の設定についても言える。谷村美月は見事に演じきっており、素晴らしかった。難しい役なんだけど、すごいなあ。「指さし」も見応えありました。それと、試写室をあんなにも病んだ空間として捉えているのが面白い。

 

a2.

何て試みだ。既に何度も繰り返し見ているが、この作品の持つ毒に打ち負かされてしまう(私はキリシタンでもないのだけれど)。冒頭から、「一線を踏み越えなければいけないのだ」という強靭な意志を感じて震える。何なのだろうか、この強度は。映像面の試みはさておき、やはりこの映画はナラティブが非常に優れていると思う。静謐なオープニングで、疲れた表情を浮かべるジョージCスコットが一言、ダミアン、と呟く。ここでのトーンが貫かれる。終盤に至るにつれて徐々に語気が強まっていくのだが(ブラッド・ドゥーリフ登場以降)、どれだけ熱くなったところで、それらもすべて、基調となる冒頭で示されたトーンに回収されていく。これにより非常に緊張感のある静けさが醸成される。本作に特徴的な、意味深い一言を残して次の場面に移行する編集は、あまりにそれが繰り返されるのは如何なものかと思いもするが面白いのでまあ良し。効果的に働いているとは思う。常に何かを先延ばしにしている感覚こそ物語においては重要。無論先延ばしにされる言葉とは、the oneであり、この一言こそ言わせたかったのでしょう。双子座連続殺人鬼と神父とを結びつけたのは他でもない、あのお方だと。これ以上踏み込まないのもまた立派。ここでキリストと明言してしまっても良くないし、反対にサタンと言ってしまうのは最低。「分裂症には入り込みやすい」と言うのは一体誰か。いやあ、何てことを考えつくんだ。映像面にも触れると、俳優が全く気付いていない所へズームアップするカットが特徴的で、エレベーターに乗り込もうとするスコットのすぐ脇にある首なし石像へのズームアップは特に良かった。最愛の俳優、スコット・ウィルソンの名演も光る。チェーンスモークするだけであそこまでの疲弊具合は中々出せるものではない。