感染者、感染者、すでに感染者だらけ

a1. 『哭悲/THE SADNESS』(ロブ・ジャバズ)

a2. 『石巻市立湊小学校避難所』(藤川佳三)

 

 

寮祭でとあるおじさんに知り合ったのですが、実はその方はアジア・アフリカ研の方で、同じ映画を見に行く予定だったので一緒にコンビニまでビールを買いにお供し、色々お話していたら、近年「映像人類学」が注目の的だと知る。3年前に始めて、博論にDVDを添付することが許可された。私の興味としては、映像学による映像の分類を批判的に見る「映像人類学」の視点(たとえばソ連の「芸術的記録映画」…)。それで関連映画だったりを漁っていると、『アカマタの歌』(73)という超面白そうな映画の存在を知るも、既に公開は終了。それも観客の要望に応えての一週間限定の貴重な上映だったそうで。うーん、自分の情報網の狭さを嘆く。で、この映画の配給会社の名前が、「ヴィジュアルフォークロア」(映像民俗学)。興味深いですな。そしてなんとこの会社、「民俗・民族・考古・芸能・宗教・自然の映像アーカイブ」を公開中。

 

 

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a1.

あまりの手際の悪さに終始辟易しつつ、そこに目を瞑れば、序盤のファストフード店にて次々と人が暴徒と化していく展開は魅力的だ。導入からして、感染者がかなりの数存在するという事態が面白いのだ。しょんべん垂らしながら、店員に高温の油をぶっかけ、爛れた皮膚を引き千切る&噛み千切る老婆は、これからさらに事態が悪化していくことは想像が付くも、この時点ではあくまでも特異点なのだろう、と高をくくって見ていたら、老婆は突然画面にカットインしてくる乗用車に轢き殺される(ここの画角のとり方とか酷い)。と、なんとそいつも感染者だった。すると主人公の背後から、叫び声が。振り向く主人公、ビルの屋上から落下する女性。なんと彼女も感染者。感染者、感染者、すでに感染者だらけ。感染者数名に痛めつけられ、悶絶する人も感染者。この導入には、目頭が熱くなりもした。ゾンビ映画、といえば重要なのがヘリポートなわけだが、主人公が迎える結末も、まさにこの「お前も感染者」という面白さ。救援に来たはずのヘリコプターの操縦士までもが感染者で、救いが見えたかに思えたその直後、最悪へたたき落とされる。気になった描写としては、下手が高じて奇妙なフォルムとなっている場面があり、感染者二名に追われる主人公が、靴だけを残してサッと逃げ去るカットで、素早いパンを用いてそれっぽく演出しようと試みているのだが、ただただ奇妙だった。冒頭に「光過敏症注意喚起」が出され、一体どこでビカビカ来るのかと期待していたら、何とエンドクレジット。まあたしかに、メタルにビカビカ光りまくるタイトル、は間違いない組み合わせだけども。陰謀論者然とした科学者の、あまりにも小声で、退屈な演説は、本当につまらないからやめて欲しい。アレでかなり映画を駄目にしている。ゴミ箱に捨てられた8体の赤ん坊ら(もちろん感染者)が、大挙して科学者を喰い殺す画でも見せてくれれば良いものの、3Dプリンター銃がジャムって怪我して終わり、は何なんだ。

 

a2.

オープニングロール後、一発目の画が素晴らしかった。まだまだぎこちない監督と避難所の皆さんとの関係性をそこから伺えるだけではなく、「前に一回帰ったベあんた」という言葉からは、既に何度か現地滞在していたことも分かる。また、字幕を出さないという選択に驚いたのだが、画面外の監督も、避難所の皆さんの東北弁をうまく聴き取れていない様子までもが収められている。全体を通してみると、ハードな構成は見られないが、ゆるやかに細部と細部とがつながり合っているのが好み。またカメラが追う対象は、もちろん人なのだが、監督の興味はやはりタイトル通り「避難所」にあるようだ。人ではなく、場所にカメラが棲み着く。だからこそ、避難所を去る者が際立って見える。工藤さんは強く印象に残るが、特に、愛ちゃんの存在感には驚いた。常に、どこか芝居がかっているというのが、目の前の現実と、そうではないもう一つの現実とが彼女の中で重ね合わされているように見え、こちらも引き裂かれる思いに。これぞ、カメラの特性。そんな、ある意味、現実/非現実のあわいを捉えるドキュメンタリー・カメラから突然、3.11当時のフッテージ映像に移り変わった時には、残されたままだった曖昧な領域をすべて流し去ってしまう。このような効果が生じているのも、やはり愛ちゃんの影響が大きい。

 

民族・民俗・考古・芸能・宗教・自然の映像アーカイブ

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