a1. 『炎628』(エレム・クリモフ)

a2. 『クローンウォーズ/S3』#8-10

 

 

『炎628』はフェイバリットであり、家の裏に大量に積まれた死体が画面の端にチラッと映ってしまう場面がやはり飛び抜けて優れていると思うが、「映画の生体解剖」では本作は「沼・子ども・極悪人」という括りで扱われている。高橋・稲生両氏が「沼映画」を挙げているので、今後の鑑賞の指針のためにメモを残す。

『雀』(26)★、『夜の悪魔』(43)、『赤い家』(46)★、『Strangler of the Swamp』(46)★、『拳銃魔』(50)、『狩人の夜』(55)、『悪い種子』(56)、『吸血怪獣ヒルゴンの猛襲』(59)、『サイコ』(60)、『恐怖の岬』(62)、『血まみれギャングママ』(70)、『悪魔の沼』(76)、『SF/ボディスナッチャー』(78)、『ワイルドシングス』(98)、『ギフト』(00)、『ペーパーボーイ』(12)

(※製作年順)

こう並べて見ると、両氏が挙げてリストには80年代の作品ががっぽりと空いている。まあ、泥レスものなど、大量に粗製濫造されていたとは思いますが。私にとって決定的な沼は、単に沼への執着が凄まじいという点で、ノーマン・J・ウォーレン『人喰いエイリアン』(84)。エイリアンも、沼には及ばない。これ以外にも、ウェス・クレイヴンが撮った『Swamp thing』も当然、沼。『炎628』と「沼」でいうと、やはり、顔が汚れるという点にクリモフは執着しているように思われる。

 

 

 

a1.

徹頭徹尾、「顔」の映画なのである。戦争によって変容した「顔」によって、戦争を切り取る、という発想はやはり妻であるシェピチコの『処刑の丘』の影響であろう。ただ、映画が暴れ出す瞬間は、ナチスの移動虐殺部隊ベラルーシの村を丸ごと焼き尽くす場面で、これは「戦争映画」ではなく「芸術的記録映画」として撮られる。当時の場をまるごと再現してしまい、ただそこで行われる所業にカメラを向ける。カメラの向こうから、現場の混沌ぶりが伝わってくるようで、時折、明らかに映り込んでしまったナチス兵がカメラに向かって主張してくる。女将校は、カメラ目線で、焼け死んでいく住民の姿を横目で見ながらロブスターをしゃぶる(後に乳を出しながら死ぬ)。ここでも、場を丸ごと作りあげ、そこにカメラを置く、という手法で撮られたからこそ不意のカメラ目線は生まれており、おそらく脚本で考えられていたわけではないのでしょう。また、アメリカ製の戦争映画では切ってしまいそうな、逃げたパルチザンの元へ少年が還る場面での長い主観ショットには、本作特有の、場そのものへゆっくりとカメラが分け入ってゆくような感覚が存分に感じられ、素晴らしい。また、本作でも飛び抜けて優れていると思われる、家の裏に大量に積まれた死体が画面の端にチラッと映ってしまう場面も、まさに場の「舞台裏」がチラリと映ってしまったときのような緊張感が画面に走る。ベラルーシと言えば沼沢地と森林であり、その地理的特性を活かした画作りも見事。そして、これまでの「芸術的記録映画」としての在り方から、もう一段階の脱皮を試み、「記録映像」そのものと衝突させてしまう、その心意気には撃たれる。戦場のただ中に投げ込まれ、顔が変容、おじいちゃんのようにしわくちゃの顔になってしまった少年と、反対に時代を逆行してゆくヒトラーの記録映像とが衝突するとは、最後の真っ当な主張は置いておいても、あまりにも魅力的な実践である。

a2.

#8. コルサント闇市で買い物をするR2D2C-3POがキャドベインに拉致される。設定が完璧で、ベインと一緒にヘリオス3E(IG-86型)とトド360の出演も超嬉しい。ベイン一派最高よな~。薄汚い闇市の一画にお風呂屋さん、ドロイド専用の風俗があるのも、歌舞伎町みたいでリアリティがある。

#9. エピソード6でジャバの宮殿でエッチな踊りを披露していたサイ・スヌートルズ再登場で、ズィロを術中に嵌める。彼女も賞金稼ぎになるそう。ハット族にもちゃんと評議会がある、それがスターウォーズだよな。ジェダイの風来坊、クインラン・ボスが登場。彼もまた幻視能力を持つ。とくに鼻が利くジェダイだ。で、なんとこの人、アイラ・セキュラのマスターだったそうで、彼女もフォース感能力を持っている。

#10. 次は、おそらくはじめて?分離主義派の議会の様子。ドゥークーは、共和国の軍備を増強させるため、これもおそらくはじめて?コルサントに襲撃を仕掛ける。