散歩は明治に始まったらしい
a1. 『死刑に至る病』(白石和彌)
a3. 『弾丸ラナリスク』(竹原潤太)
a4. 『ワンダビジョン』ep.1-3
c1. 『Freak Out!』(The Mothers of Invasion)
a1.
MOVIX京都はほぼ満席。予告の段階で明らかになっている「立件された9件の殺人の内1件だけは私の犯行ではない」という物語の筋から映画は逸れ始め、かなり荒唐無稽な話に接近する。その荒唐無稽さを、「今回の勝負所は面会室である」と強く心に刻んで撮影に臨んだであろう製作陣が、あの手この手で面会場面を盛り上げていくのには大変見応えがあった。スクリーンプロセスや、ガラスに映る阿部サダヲ/岡田健史両氏の顔が重なる(一瞬だけ岡田の顔の右半分が阿部に食い潰されてフランシス・ベーコンの画みたいになるのが凄かった!)、飄々とガラスをすり抜け直接触ってくる、岡田の胸に少女の姿が投影される、セット撮影を活かした自由なカメラワーク、などなどとても良かったが、最も驚いたのが初めての面会場面で、刑務官に抱えられて面会室を跡にする阿倍を見つめる岡田の表情に、去る阿部の姿がガラスに映る…と思いきや、よく見たらなんと岡田の側にいるではないか!まるで鏡のように。余りにも平然ととんでもないことをしている。素晴らしい!ここを超える場面は残念ながらなかったなあ。一つだけ、鈴木卓爾が良かった。元気そうで何より。阿部の造形について、彼は「言葉を介して」悪を伝播させていく。にしては魅力的なワードが乏しいのが最大の難点(脚本は『さがす』の人だそう)。物語を捻くり回すことに執心するのではなく(『さがす』もそう)、映画の雰囲気がガラッと変わってしまう一言を生み出せや(例.『マタンゴ』における「ここ、にっぽん…?」など)。映像について、『パラサイト』を意識し過ぎていて冷めてしまった。180度の規則を超えるのなら、ここぞというタイミングで、一発で決めるべし。さすがに回数打ち過ぎで、特に居酒屋の場面などはやり過ぎで見づらくなっている。岡田は大学生という設定だが、都合しか感じない設定なので本当にやめて欲しい。映画におけるキャラクターには「仕事」を与えるべし。「仕事」があるからこそ「距離」が生まれ、それがキャラクターの魅力になる。金田一耕助は事件に常に遅刻してきて最後に解説するだけの役割だが、あくまでも「探偵」であるからこそ面白いのだ。アレが素人、ましてや大学生だったことを想像してみたら…おそらく横溝も「仕事」からのギャップでキャラクターを創造していったのだろうし。ただ勝負所である面会室が非常に面白かったので、とても好きな作品でした。
a2.
あまりに退屈。見るに堪えないので右画面でyoutubeを再生しながら見たら、なんと驚き、カメラの質が違わない。スマホ撮影も見受けられる。良いカメラで撮られた映像(ただカメラがあれば良いというワケではなく、これにも技術が必要)を見たい、という欲望で映画を見ている側面はあるよなあと再確認。一点だけ、タイムスリップするときに「雷」が落ちる所は、やはり良かった。人智を越えた何かを引き起こすには、電気は必須なのである。
a3.
佐々木監督がtwitter上で褒めていたので見てみた。廃墟に行き着いた二人組の片割れが「ん?警察か?」といって辺りを見回すと空のショットがインサートされる。この瞬間に、虚実皮膜、幻想と現実が融け合う瞬間を見事現出させており見事。銃声が現実にひびを入れるのだ。
a4.
面白い。ただ『トゥルーマン・ショー』に熱狂した身(ましてや『恐怖』における死後の世界とやら)としては、もっと観客を信じて良い気がする。劇的な事件が起こる時、劇映画カメラに移り変わるのではなく、あたかも「放送事故」として見せることもできるはず。20年以上前の『トゥルーマン』でさえ観客はついて行けたのだから、チャレンジしろや(近年のMCUは、志の高さに対して実現レベルが低い)。エリザベス・オルセンが素敵。ep.3でのアスペクト比がスタンダードからシネスコに変わっていく所は奇を衒っているなあとか思いつつ、好き。こういうのに騙されやすいのだから、しょうがない。以上、続きが気になる。
c1.
大好き!