むくれ面のペキンパーによる嫌・病院映画『キラー・エリート』

The Killer Elite  (Sam Peckinpah , 1975)

 

たまには旧作のレビューでも、と思い立ち、昨日見た『キラー・エリート』について。

サム・ペキンパーキラー・エリート

 

傑作でした。私のペキンパー最高傑作は『バイオレントサタデー』だったのですが、こちらの方が好きかもしれない。昨晩はこれまで避けていた自分を恥じた。それに、もし同時代に本作に巡り会っていたなら、一生私はペキンパーに付いていったことだろう。『キラー・エリート』はユナイテッドアーティスト製作の映画だが、製作陣とペキンパーの間では例によって、かなりのいざこざがあったようだ。ペキンパーが脚本に関わることを認めないスタジオ側に対して、ペキンパーは、その文書をプリントしたTシャツを関係者全員に配った、という逸話からも製作状況が窺える。個のクリエイティビティを蔑ろにする権威に抗う物語を持つ本作だけに、そのような事態は皮肉である。そんなペキンパーは腹立ち、映画を皮肉一色に染め上げる。

 

キラー・エリート』は理解不能で風刺的なギャグのオンパレードである。サンフランシスコ空港で要人が国際暗殺組織・ニンジャに狙われる場面で、その要人のSPを務めていた男が殺され、死体がベルトコンベアーを通って荷物受け取り口にまで流れ着く場面がある。ただでさえシリアスな暗殺場面を異化するような滑稽な場面なのだが、空港内が混乱に陥る最中、露出狂が空港警備員に自らの股間を見せつけるというよく分からない場面がオチを付ける。またこの場面全体が、コムテグオフィス内での打ち合わせと同時並行で、まるで回想場面のように語られるため、緊張感は一向に高まる気配は見せず、観客の没入感を削ぐような編集が何とも不思議である。実はどうやら『キラー・エリート』には別エンディングが存在していたらしく(これがディレクターズカット版には入っているのかな?)、その版では、ニンジャに殺されて死んだはずのボー・ホプキンスが次のカットでは何故か生き返っており、ジェームズ・カーンバート・ヤングの二人がボーの肩を担ぐと、再び海に捨てられ葬られるそうだ。ペキンパーは観客に映画の虚構性を意識させようと試みており、「ブレヒト版」と呼んでいたそうだ。残念ながら劇場公開版には収録されなかったが、そんな「ブレヒト的」異化は劇中貫き通されている。カーンがチャイナタウンを訪れる場面では、中国語を話すチャイニーズに対して、「英語で話してくれ!字幕は嫌いなんだ」と明らかにスクリーンの向こう側にいる観客を意識した発言をする。

 

カーンの発言で特に印象的であるのは、「ヒロイズムはもう通用しない。現代では裏切り者の方に皆が同情を示したがる」という台詞だ。ペキンパーの意図に沿ったものではないが、劇場公開版のエンディングを『ジュニア・ボナー 華麗なる挑戦』のエンディングと比較すると興味深い。どちらも開けた土地に向けて旅立つカーン/マックィーンが描かれ映画は幕引きとなるのだが、カメラを遮るものが何もない荒野に向けて車を走らせるマックィーンに対して、カーンが進む大海原はどこか窮屈である。カーンが乗る船を空から捉えたショットは、画面手前を橋が支配しており、映像に爽快感がなく、カーンがした選択を諸手を挙げて賞賛する気には、決してならないのである。

 

 

最も強烈な違和感を私に与えたのは、左足と左肘に傷を負ったカーンが病院に運ばれてからの一連の流れである。病院に担ぎ込まれたカーンは早速集中治療室に入れられ、治療を受け、何とか一命を取り留める。その後担当の看護師と恋仲になったり、コムテグの連中が尋ねてきたりと色々出来事は起こるのだが、見ている私は「一体これで面白くなるのだろうか?」という不安感ばかりだ。おそらく30分近く、負傷した左足が二度と使いものにならないと聞いたカーンがテンションを下げて元気をなくしたり、傾斜の急な階段で松葉杖のトレーニング・リハビリをしたり、彼女とご飯に行く機会に恵まれるも、ギプスの付いた腕を自由に動かすことが出来ず、隣のテーブルのワインを落としてしまったり、いよいよギプスを外せる悦ばしいはずの場面で、毛むくじゃらなカーンの体質ゆえ、外すときに毛をブチブチと巻き添えにしてしまい苛立つ様子などが丹念に描かれる。そして、これだけ丁寧に「もう二度とまともに歩くことなどできないでしょう」と念を押されたにも関わらず、最後の場面でカーンは、手すりに手をかけながらとはいえ、松葉杖無しで歩いてしまうのだ。ここには病院に対する強烈な皮肉が見て取れる。やっぱりみんな病院なんて大嫌いなのだ、と知れて私は安心した。最近見た『バーニングダウン』にも同じくリハビリ場面があったが、こちらはそれっぽい音楽をかけて流れるような編集でテンポ良く再生までの道のりを見せてゆくのに対し、『キラー・エリート』のこのネチっこさ。ネチっこさが映画的な面白さに昇華することをペキンパーは示している。『ケーブルホーグのバラード』だって、非常にネチっこい映画で、だからこそ最高なのである。撮影中にとあるインタビュアーがカーンにインタビューした際、カーンはしきりに「ペキンパーはすぐさま医者に肝臓を看てもらった方が良いね!アレは生きた化石だよ」と笑顔でジョークを飛ばしていたが、カーンは『キラー・エリート』の本質を的確に捉えている。病院に行ったところで、狭い部屋に大勢の医者達がぎゅうぎゅう詰めになるから息苦しいし、彼らも彼らで意外と人体のことなど大雑把にしか捉えていないでしょう。肘と膝に包帯を巻いてギプスを嵌めるためだけにあんな大人数も用意して。患部以外に布をかける、とかいう知識はあるのだが、所詮包帯巻いてギプス付けるだけだろう?何をそんな真顔で処置した気になっているのやら。そんな人に偉そうにされるのか。所詮他人事である。そんな病院なんて行きたくない!行きたくない!

病院になんて絶対いかない映画監督サム・ペキンパーだからこそ成し遂げ得た爆笑必至の病院映画である。

 

 

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