【映画時評】『親愛なる同志たちへ』

Dear Comrades ! (Andrey Konchalovskiy , 2020)

 

 

アンドレイ・コンチャロフスキー監督作品『親愛なる同志たちへ』を見ました。

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映画『親愛なる同志たちへ』


アタマン宮殿が聳え、広場にはボリシェヴィキ党歌が旧ソ連の都市ノボチェルカッスクに響き渡る中、映画は始まる。ベッドに横になっている男性と、その傍らで商店に食料品を買い出しに行こうと身支度を整える女性とが映し出される。女は三面鏡の中に収まる。この「鏡」がモチーフなのかと作品を見進めるが、これといった鏡の演出は見受けられない。それよりも、手前と奥との間を何度も焦点が行ったり来たりする所に、この作品の映像タッチが隠されている。事実このショットでも、鏡に映る女と、横になる男との間を焦点が揺れ動く。監督曰く、モノクロかつ1:1.33のアスペクト比は六〇年代のソ連映画のテイストを再現するためだそうだが、ピン送りによる演出も時代特有のものなのか。はたまたコンチャロフスキー特有の演出なのか。

 

ここで、女(リューダ)はブラジャーを身に付けながら、男に現在のフルシチョフ体制に対して抱く不信感を告白する。しかし男は聞く耳を持たず、二人は言い争いに。勢いよく扉を閉めて部屋を後にするリューダは、商店へ向かう。するとそこには人々が殺到しており、食糧不足が拡がったノボチェルカッスクの現状が見て取れる。市政委員会の一員でもあるリューダはバックヤードに周り、食糧を融通してもらっている。ここで店員の女性が、先ほどリューダが口にしたような不信感を吐露するのだが、彼女は「政権にたてついては行けない。あらぬ不安を煽るようなことを口にすることは許さない」と店員を戒める。また実家に帰ったリューダは、一緒に住む娘に、「ブラジャーを付けるように」そして「靴下に空いた穴を繕うように」叱る。更にその後、リューダは理髪店に向かい、髪型を整える。そこでは美容師が「働く女がお洒落をすることを禁止する法律は無い」と言って、最新のヘアスタイルに仕上げる。

映画開始20分ほどの内、ほとんどが「身だしなみ」に関する描写に溢れている。リューダが身だしなみを整える場面は丹念に撮られているのにも関わらず、娘がブラジャーを身につけるのは画面外で処理されてしまうところに、何やら不穏な空気を感じる。また一緒に住む父親はドン・コサック軍の一人で、物語終盤ではロシア正教会のイコンと共に軍服を取り出しわざわざ身につける場面が用意されている。リューダは咎めるのだが、父親はそれを無視し、鏡の前に立って自分の姿をじっくりと眺める。

 

特筆すべき場面は、やはり一番の見せ場である広場での虐殺であろう。KGBの工作によって死傷者が出た広場は大混乱に陥り、阿鼻叫喚の地獄絵図に。銃声を聞いて急いでかけつけたリューダは、怪我を負った女性を担いで、例の理髪店に何とか駆け込む。そこでは既に、先ほど髪型をセットしてくれた店員が血を流して死んでいるのだが、この店員が銃殺される場面の演出が素晴らしい。店のガラス窓に銃痕が空き、カメラが切り返すと、床に倒れた店員が足をバタバタとさせ、そしてゆっくりと息絶える。死にゆく店員の顔が大写しにされることはなく、悲劇的に演出されているわけでは無い。事実が眼前とあるのみだ。

 

 

音に注目してみよう。ボリシェビキ党歌から映画が始まることは既に述べたが、党歌の次に流されるのは、労働者によるストライキを告げるサイレンである。映画の中でひたすらサイレンが鳴ると、それだけでスケール感が増し、事態の異常さが伝わってくる。党歌⇒サイレンへと受け継がれる。そして次に映画『恋は魔術師』のテーマ曲である。

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この曲がテレビから流れてくる場面もあれば、KGBの一人デュークと一緒に口ずさむ場面もある。そしてエンドロールでも再び流される。党歌⇒サイレン⇒『恋は魔術師』という流れ。特に深い意味はないのかもしれないが、忘れないように書き留めておく。