【書籍時評】『楽園の真下』

楽園の真下(荻原浩 , 2022文庫本出版 , 2019単行本化)

 

パニックホラーが似合う語り口は間違いなく映画だろうと、かつての私なら断言していただろうが、ジェームズ・ハーバートの著作(『鼠』)に触れてからというもの、その考えは揺らいでいた。そんな中恒例になった「書店でジャケ買い」をしていると本著の表紙が目に飛び込んでくる。表紙一杯にカマキリの姿。その傍らには人間用の椅子が描かれているが、カマキリはそれより更に大きい。カマキリに関する知識は蟷螂拳香川照之くらいのものだった私はあらすじも読まずにすかさずジャケ買い。「面白くなくてもカマキリに関する知識くらいは身につくだろう」と何の期待もせず、少々小馬鹿にしながら、上から目線で読み始める。

 

https://www.amazon.co.jp/%E6%A5%BD%E5%9C%92%E3%81%AE%E7%9C%9F%E4%B8%8B-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E8%8D%BB%E5%8E%9F-%E6%B5%A9/dp/4167918552

 

主人公である藤間はジャーナリストで、今は『びっくりな大動物図鑑』というよくありがちな本の執筆に取り組んでいる。すると偶々付けていたテレビでは巨大カマキリが特集されている。カマキリの体長はなんと30cm以上。発見場所は本州の南に位置する志手島という所なのだが、藤間にはその島の名前に聞き覚えがあった。志手島は自殺の名所として知られており、ここ数年で何人もの人が自死している。そして奇妙なことに、彼らの誰もが水死体となって発見されている。「巨大カマキリ」と「自殺」。奇妙な現象が同時に2つも生じている不幸な島に興味を抱いていると、担当編集から電話が。実は編集者もたまたま同じタイミングで同じテレビ番組を見ており、藤間にカマキリの取材に行って欲しいと頼む。言われるがままに島へと取材に足を運ぶ藤間であったが、彼には巨大カマキリとは別のモチベーションもあった。彼の恋人・明日歌はかつて飛び降り自殺をしているのだ。そして藤間はまだその件に心を囚われている。藤間にとっては、カマキリはあくまでも仕事であり彼の外にあるテーマ、自殺は彼自身の内なるテーマと結びつくのだ。

 

読者は当然、この2つのテーマが後に結びつくであろうことを知っている。厭味な言い方になってしまうが「物語はそういうものだ」と知らず知らず高を括ってしまう。肝心なのは「如何に結びつくか」である。今の段階では全く予想が付かない。浅はかな私は「どうせカマキリが殺して回っているんだろう」とか何とか。

 

志手島に到着した藤間は、「志手島野生生物研究センター」の所長で内地にある大学の准教授・秋村と知り合う。テレビで紹介されていた巨大カマキリ発見場所・大田原農園に2人で足を運ぶも中々発見には至らない。その帰り道、藤間は湖畔に浮かぶカマキリを発見する。しかも中々のサイズだ。藤間は秋村に告げることなく隊を離れ、湖畔に向かい網を構え捕まえようと試みるも、すんでのところで秋村に止められる。秋村は藤間が入水自殺を試みていると勘違いをしており、それで身を挺して止めたのだ。この場面では、身を挺して藤間を助けた秋村の熱い息が彼の頬に当たる様子が描写される。藤間は自分がそんな風に見られているのかと驚き、そして秋村に対して信頼を寄せるようになるが、そんな秋村は別の所に注目していた。「カマキリは泳げない」のである。

 

昆虫博士・秋村と生っちょろいド素人・藤間の掛け合いはコメディタッチで描かれる。長々と昆虫についての講釈を述べる場面では、藤間は内なる声で「また始まったか」とボヤく。本著ではこの登場人物同士の掛け合いも見所の一つだ。終盤になって、島を訪れた「そともん」Youtuberとゴリゴリの「うちもん」である警察署長・三上とのサンクチュアリー(森の保護領域)を巡るやりとりなんて不謹慎だが吹いてしまった。「自殺」と聞くと深刻な内容を予想していたが、緩急の付け方が上手いので疲れずに読み進めることが出来る。さて、「カマキリは泳げない」そうだ。そんなカマキリが湖で見つかる。恐ろしい細部である。志手島で多発する自殺から連想するに、「カマキリの入水自殺」という荒唐無稽な一言が脳裏に浮かぶ。

 

そんな水中で見つかったカマキリを秋村は研究センターに持ち帰り(間は諸々割愛)、水につけてみる。するとカマキリのお尻から黒いにょろにょろした寄生虫が飛び出てくるではないか。それは「ハリガネムシ」と呼ばれる寄生虫で、宿主に寄生して神経作用を起こすと言われている。そんなカマキリとハリガネムシについてはこんなブログや書籍がある。

 

www.bookbang.jp

 

https://www.amazon.co.jp/gp/product/4103531517/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4103531517&linkCode=as2&tag=bookbangweb-22

 

秋村はこのハリガネムシとカマキリの関係から、巨大化の秘密を読み解こうとする。引き合いに出すのは昨今イギリスやアメリカ、日本でも渋谷などで話題のスーパーラットである。そして秋村は捉えた40cm以上あるカマキリを見て一言、「このカマキリ、まだ子供だ」。これは恐い台詞だ。良い台詞とはこういう、たった一言であらゆる可能性を連想させるものを言う。

 

事態の深刻さに気付いた二人は島民に注意喚起をするが、中々聞き入れてもらえない。それも当然だろう、藤間だって秋村だってはじめは信じていなかった。常識からはみ出た現象を前にすると、人は拒絶するのだ。そんな時に藤間が宿泊するホテルの従業員が、水死体となって発見される。異変を感じた藤間は司法解剖を要求するが、医師には「単なる自殺ごときで何を喚く」と突っぱねられる。そこで藤間は明日歌を思い出し、「湯灌はどうか」と提案する。エンバーミングが遺体を物質的に清潔に保存するための作業であるのに対し、湯灌は精神的なもののはずだ。医師は渋々頷く。遺体を慎重にお湯につける藤間と秋村。すると遺体の腹部がぎゅるぎゅると蠢き始める。さらに遺体の口が開き、「ぐ  が  ぐ 」と声を漏らすではないか。そして口からは人の腹部で巨大に育ったハリガネムシがうねうねと姿を現す…

 

これで島民一致団結して事態の深刻さに気付き、足並みを揃えられると感じた二人であるが、これでもまだ島民は鼻で笑う。二人をまるで狂人を見るかのような眼差しで見つめる。これは物語を面白くする重要な要素だ。簡単に言いくるめられるような島民では面白くない。だからこそ、真のヤバさに気付く瞬間に緊張感が高まる。警察署長の三上に至っては死ぬ直前まで巨大カマキリ・ハリガネムシのヤバさに気付いていなかった。本著における「鈍感な島民」の徹底した描きぶりは素晴らしい。いや、実はそれは島民だけに限らず「そともん」も鈍感なのであるが。ちなみに、巨大カマキリの捜索が始まると台風が志手島を襲う。また志手島は航空路建設案で島内が揉めており、政治的にも不安定である。さらにそこに内地からのレポーターが軽い気持ちでサンクチュアリーに足を踏み入れる。外部から次々と追い打ちをかけてくるから、次第にぐんぐんと緊張感が高まってくる。

 

一体どうやって巨大カマキリを捕獲するのだろう。捜索・捕獲パターンは次の二通りだ。一つ目は、夕闇の中、投光器で木々をライトアップをし、その光の先にスクリーンを設置する。すると虫たちは光に吸い寄せられるようにしてスクリーン周辺に集まってくる。そこを一網打尽にするのだ。ライトアップを始め、虫が集まるのを待つ藤間と秋村。この待機する時間がたいへん感動的であった。二つ目は動体カメラを森のあちこちに設置し、監視し続けるというもの。通常サイズの虫には効果はないであろうが、今狙うカマキリは大きい者では1mサイズのものもいる。最近ではイノシシ猟などでもこの手法を用いられている。このような捕獲・捜索の過程がパニックホラーでは読み所だろう。森を捜索していたらたまたま巨大カマキリを見つけるという「同時刻・同場所」な恐怖もあれば、一晩明けて動体カメラを確認するとそこには…という「時間差がある」恐怖も。またモニターを見て監視を続ける秋村が巨大カマキリを発見、現場にいる捜索員に指示を出すもすでに手遅れという「同時刻だが距離のある」恐怖も用意されており、手数が多く飽きさせない。

 

また物語を楽しむ上で私がもっとも注意して見る・読むのは「主人公がいかに追い込まれるか」という点。本著における追い込みは中々壮絶である。上で述べた従業員の遺体を解剖しようと提案する場面。病理解剖・湯灌という発想が出てくるのも、藤間が未だ明日歌の死に囚われていることを示している。現状を打破するため不意に浮かんだアイデアに藤間は苦しめられる。また、人間にハリガネムシが寄生する事案が多発する場所はバナナムーンという飲み屋が客に提供しているサカナ料理なのだが、島に到着した際に藤間は、そのサカナを口にしてしまっているのだ。

 

非常に面白い小説でした。パニックホラーは今後も読み続けていきたいと思う。ここで連載でもしようかな。