【映画時評】『非意識』『非意識の果て』
『非意識』『非意識の果て』(木村卓司/2021)
神戸映画資料館にて木村卓司監督の最新作二本を鑑賞。客入りは10人程度で、監督曰く「結構多め」だそう。
木村監督の名を初めて目にしたのが、『シネマトグラフオブエンパイア』という映画。尚この作品自体は未見であり、死ぬまでに観たいと切望する映画(この「死ぬまでに観たい映画」問題についてもいずれ触れねばなるまい)。あらすじを眺めると、どうやら地球は滅亡寸前で、美しいシネマだけは守るために青年は奔走し、やがてシネマと自身とを一体化させようと思い立つ。その際彼にアドバイスを与えるのが高橋洋・沖島勲・ペドロコスタという心躍る面々。三者は共通して、「闇」を撮ろうとする。真の「闇」は、良きものとしての光を際立たせるための闇ではない。つまり「闇」に魅入られるその欲望自体が「アンチシネマ」と言えるではないか。高橋洋氏の評はそういうことだと思う。
木村卓司監督は映画美学校で2008年に開催された地下映画上映会第二弾で注目を集め、界隈で話題沸騰となったそう。上映会のタイトルは『あなたの知らない世界』と銘打たれているが、殊『非意識』『非意識の果て』について言えば、ファーストショットは「家の間仕切り」であり私でも知っている。否、知っていると「思っていた」。続いて執拗に光学器械を向けるのは鏡であり、これは私でも知っていると思っていたのだが。それを見透かしているかのように監督は劇中こう述べる。「コレハカガミナノカソレトモエイガナノカ」。
さて『非意識』『非意識の果て』。まずこのカップリングのタイトルから連想するのは、黒沢清×高橋洋の復讐連作。『復讐』『消えない傷痕』・『蛇の道』『蜘蛛の瞳』だ。これらを『復讐』『復讐の果て』としても違和感はない。多分に活劇的な要素が盛り込まれる『非意識』は、文字通り気持ちの赴くままに無意識に(非意識に?)魅入られるモノに迫りまくり、それらを羅列していった映画で、なんら抽象的ではなく終始具体的である。
特に漲る力を感じるのが(やはりというか)、「鏡面」だ。一番心臓が跳ね上がった映像は鏡を介して四つの世界をカメラが横断してしまうカット。「鏡に驚かされる」と言えばまずジャン・コクトー『オルフェ』を想起する。一瞬画面上で何が起こっているか判らない、このエッと言わせる感覚こそ映画の本質に根ざす。ちなみにこのカットは『エンターザボイド』などでもオマージュを捧げられている。
だがここでも木村卓司がアンチシネマたりえる由縁は、カメラが隠されていない点にある。それはフィクションではなくドキュメンタリーに漸近していく行為だ。いや正しく言うならば、フィクションとドキュメンタリーとが重ね合わされる地平というべきか。
上映後のミニトークショーで、監督は雷の音を「映画史上稀に見る美しさで録音することができた」と述べていた。音についてはほとんど意識せずに見てしまったのだが、たしかに環境音とグリップノイズ、それに独白によって構成される音空間は異様であった。
今後も神戸での上映は続けていくことでしょう。レトロスペクティブの際にはまた足を運びたい。